元亀2年の上杉謙信の越中出兵
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「越中の戦国時代」の記事における「元亀2年の上杉謙信の越中出兵」の解説
元亀2年(1571年)2月、上杉謙信は越中出兵を行い、松倉城 (越中国)や新庄城、富山城を落として椎名康胤を守山城に追いつめたが、武田信玄が再び上野や関東・東海地方に出兵したため、越後に帰還することになり、椎名康胤はまたも息を吹き返すことになった。 なお、この頃になると神保氏は神保長職の次男・神保長城が後継者となり、神保長城は信玄を後ろ盾とした椎名康胤と対抗するために謙信に従属していた。しかし元亀2年(1571年)に一向一揆と和睦して武田信玄と通じ、上杉謙信と敵対するようになった。
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