優生学と近代統計学の父
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「フランシス・ゴルトン」の記事における「優生学と近代統計学の父」の解説
ダーウィンの進化論の影響を受け、心的遺伝への興味から出発し、人間能力の研究、優生学(eugenics)、相関研究を含む統計的研究法を発達させ、今日の個人的心理学の基礎を造った。 彼は、1883年に優生学という言葉を初めて用いたことで知られている。1869年の著書『遺伝的天才』(Hereditary Genius) の中で、彼は人の才能がほぼ遺伝によって受け継がれるものであると主張した。そして家畜の品種改良と同じように、人間にも人為選択を適用すればより良い社会ができると論じた。当時のイギリスでは産業革命からしばらく過ぎ、社会主義思想の広まりとともに労働者の環境も改善されつつあったが、ゴルトンは社会の発展のためには環境の改善よりも生物学的な改良が有意義だと信じていた。 統計学における貢献としては、平均への回帰と呼ばれる現象についての記述を初めて行ったことや、相関係数の概念の提唱などが挙げられる。 ゴルトンはヴィルヘルム・ヴント同様内観に優れた人物で、心像 (image) の研究は有名である。しかしゴルトンは学派を持たなかったので、ヴントほど影響は与えなかった。やがて、ジェームズ・キャッテルらによる個人差の研究、mental test が、新大陸アメリカで目覚ましい発展を遂げたのである。 1904年にユニバーシティ・カレッジ・ロンドンにゴルトン研究室が設立された。1907年、死去の直前には大学に遺産を寄贈し、優生学と統計学の教授職が設立された。初代教授には教え子で共同研究者でもあったカール・ピアソンが就任し、エゴン・ピアソン、イェジ・ネイマン、ロナルド・フィッシャーと継がれていった。ゴルトン研究室にはライオネル・ペンローズ、J・B・S・ホールデン、シェイラ・メイナード=スミス(ジョン・メイナード=スミス夫人)、セドリック・スミス(英語版)、W.D.ハミルトン、ジョージ・プライスらが所属していたことがあり、2000年に閉鎖されるまで人類遺伝学と統計学、数理生物学の発展の原動力となった。
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