停滞期と解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 15:28 UTC 版)
「チェコスロバキア国鉄」の記事における「停滞期と解体」の解説
1970年代後半になると、共産圏の経済低迷の影響を受けて路線網の改良が進まなくなった。この時期、西欧諸国では列車の最高営業速度が従来の120km/hから160km/hに向上したが、ČSDでは主に駅構内のポイント保守水準の低下から全線で100km/hに引き下げられた。ただ、西側諸国で見られたモータリゼーションの進展にともなう鉄道輸送網の縮小はなく、1980年代においては世界でもっとも稠密な鉄道網を維持し続けた。 民主化前年の1988年1月1日には、UIC番号付番のため動力車の大改番が行われ、現在使われている数字のみの形式に改められた。また1988年から1989年にかけて、一部区間で営業速度の140km/hへの引き上げが実現した。 1989年6月、国有会社制度に準ずる公団(státní organizace)への転換を定めた「チェコスロバキア国家鉄道の組織に関する法律」(チェコスロバキア連邦議会1989年法律68号、Zákon o organizaci Československé státní dráhy)が成立し、同年7月1日にチェコスロバキア国家鉄道公団(Československé státní dráhy, s.o.)に転換した。 さらにチェコスロバキアの連邦制解消に向けた関連法として1992年12月26日に成立した「チェコスロバキア国家鉄道公団の解散に関する法律」(チェコスロバキア連邦議会1992年法律625号、Zákon o zániku státní organizace Československé státní dráhy)に基づき、1992年12月31日付で解散した。国鉄事業は国民比に相当する2:1の割合で資産を分割してチェコおよびスロバキアの両共和国政府が承継し、運営をチェコ鉄道公団(ČD, České dráhy, s.o.)およびスロバキア共和国鉄道国有会社(ŽSR, Železnice Slovenskej republiky, š.p.)に引き継いだ。
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