停滞期/1988年以降
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「フリートウッド・マック」の記事における「停滞期/1988年以降」の解説
1990年には、スティーヴィーとクリスティンが今後バンドのライブツアーに参加しないことを表明。1990年発表の15thアルバム『ビハインド・ザ・マスク』(全米18位)は、1975年のアルバム『ファンタスティック・マック』から続いたゴールド・ディスク獲得を逃した。 1992年当時、ビル・クリントンの大統領選挙キャンペーンソングに「ドント・ストップ」が採用された契機から、1993年初頭、クリントンを支援するためにアルバム『噂』発表当時の黄金期メンバー5人が一時的に集まり、再結成ライブを行なった。ただし、この再結成は一時的なもので、ライブ終了後リンジーが再離脱。同年末には、スティーヴィーが今後の活動に参加しないことを表明し、正式に脱退。ほぼ同時期にリック・ビトーも脱退した。 1994年、ミックとジョンは、新メンバー ベッカ・ブラムレット(英語版)、デイブ・メイスン(英語版)の加入と、ライブ・ツアーの開始を発表する。しかし、直後にクリスティンが脱退を表明。ツアーは、クリスティンを除くメンバーで行われた。 翌1995年に、16thアルバム『タイム 』を発表。しかし、全米アルバムチャートTOP200にチャートインせず、不発に終わる。 1997年、リンジーのソロアルバムのレコーディングセッションにミックが参加したことを契機に、黄金期のメンバーが再集結。再結成ライブを行ない、ライブアルバム『ザ・ダンス』を発表。1981年発表のアルバム『ミラージュ』以来となる全米No.1を獲得した。翌1998年にはロックの殿堂入りを果たし、授賞式でのプレゼンターをシェリル・クロウが務めた。しかし、クリスティンが引退を理由に再離脱した(その後、2004年、ソロとして復帰)。 2003年にクリスティンを除く黄金期メンバー4人による本格的な復活アルバム『セイ・ユー・ウィル』を発表、ライブツアーも大きな話題となり、全米3位の大ヒットを記録した。 2014年、クリスティンが16年ぶりに復帰し、ワールドツアー「オン・ウィズ・ザ・ショウ(英語版)」を翌2015年まで行う。その後、新アルバムの制作に着手した。 2018年、秋からのワールド・ツアー開始前にリンジー・バッキンガムが降板し、代役にマイク・キャンベル(英語版)(元トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ)とニール・フィン(英語版)(クラウデッド・ハウス)が新加入。
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