俳人としての活動
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句作は高校在学中、『芭蕉七部集』を読み、寮の宿直だった大河寥々の指導を受けて始めた。高校在学中の1946年より「風」に投句。大学在学中の1947年、この年に創刊された「貨物列車」、翌年創刊の「楕円律」に同人として安東次男らとともに参加。1951年「風」同人。その後5年ほど句作から遠ざかったが、芝不器男の句に触発されて投句を再開、1956年に「風」同人に復帰。1961年より芝不器男について調べはじめ、1962年より角川書店『俳句』に「芝不器男伝」を連載。1970年、『芝不器男伝』『定本芝不器男句集』を刊行。また1960年半ば頃より無所属になるとともに、安東次男の句と著作に親しんだ。 代表句に「小鳥死に枯野よく透く籠のこる」「うつくしきあぎととあへり能登時雨」(ともに『少長集』)など。初期には社会性俳句の流れの中、「論理に支えられた叙情」を主張したが、1960年代から季語を重視した平明な作風に変わった。1993年より2000年まで朝日新聞俳壇選者。門人に長谷川櫂がいる。
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俳人としての活動
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伊藤は政治家としての顔のほか、俳号「無限子」を持つ俳人としても知られる。「鶴」(1973年入会)、「初蝶」(1987年入会)、「魚座」(1997年入会)の同人を務める傍ら、句集「地蜂」「信濃路」「風やはらかき」などを残している。長男のいとうせいこうも俳句趣味を引き継いでおり、金子兜太との共著などを発表している。
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