信達平野湖説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 04:12 UTC 版)
福島県と宮城県の県境の猿跳(さるっぱね)岩によって阿武隈川がせき止められて福島盆地全体が湖水だったという、伊達風土記をはじめとする信達(しんたつ)平野湖説という民間説話がある。実際に福島盆地では低地の砂岩質の地層からよく貝殻なども発見されている。しかし、福島盆地東北端の平地や猿跳岩の標高は約40mで、対して信夫山周辺の福島市街地の標高は約70m。信夫山が島になる水位を保つのは地形的に不可能である。また信夫山が島になる水位であれば湖底であるはずの場所からも縄文・弥生時代以降の史跡が発掘されている。南関東広い地域が内海であった約6,000年前の縄文海進までさかのぼって考えても、縄文海進による水位上昇は3m~5mであったため、福島盆地の標高で内海になることもあり得ない。 実際、福島盆地が浅海であった時代は地質調査より確認されているが、化石化した魚介類がよく見つかる梁川層などの浅海時代は新生代第三期の約1500万年~1600万年前の地層であり、人類登場よりはるか以前のものである。現在の福島盆地の地形がほぼできあがったのは第四紀更新世中期の約20万年前、その後、盆地に流れ込む河川により、盆地低地部の堆積や段丘化を経て現在の地形になった。 以上のように、信達平野湖説は地質学的にはあり得ない。信達湖説は盆地全体の見た目の地形のイメージや貝殻の化石が見つかることなどから生まれた都市伝説的風説と推察される。
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