作風と作品一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 07:15 UTC 版)
「ヘルマン・ツィルヒャー」の記事における「作風と作品一覧」の解説
ツィルヒャーの作品は、管弦楽曲や合唱曲に加えて、2つの歌劇や、室内楽、歌曲、ピアノ曲、アコーディオンのための多数の楽曲と、多岐にわたっている。 ツィルヒャーは20世紀音楽の系譜に属しており、その作品は、後期ロマン派音楽からモダニズムに至る期間の、過渡的な音楽様式に依拠している。1926年にはアルフレート・アインシュタインによって、「ブラームスの後継者という一面と、新ロマン主義や印象主義への傾斜という一面とを併せ持つ、傑出したドイツの作曲家」と特徴付けられている。また、音楽学者のバルバラ・ハースは次のように要約する。「ヘルマン・ツィルヒャーは、新しさと古さの相半ばする作曲家であったと呼ぶことができる。ツィルヒャーは穏当なモデルネの作曲家であり、その音楽語法は、19世紀音楽から発展したものだった。この音楽語法は、独創的な個人的特徴によって豊かにされている。」このような個人的な特徴は、形式の単純化や明晰さに対する傾向や、精巧な対位法の愛用、–わけても後期作品において–単一の主題の集中や画一的な基調への好みに表れている。さらに、「民謡調」への偏愛が加えられる。「民謡調」は、シューマンやブラームスが手本として分かち合っただけでなく、バルトークやヒンデミットのようなモダニズムの作曲家によっても見出されたものだった。 ツィルヒャーの存命中にとりわけ成功を収めたのは、オラトリオ《愛の典礼(Die Liebesmesse)》(1912年脱稿、1913年シュトラースブルクにて初演)や、混声四部合唱とピアノのための《ドイツの民謡劇(Deutschen Volksliederspiel)》(1915年)、フルトヴェングラーの指揮とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で初演された《ヴァイオリン協奏曲 第2番》(1942年)である。遺作の《交響曲 第5番》は、オイゲン・ヨッフムによってハンブルクで死後初演されると、積極的に歓迎された。西ドイツ時代はツィルヒャーの作品は滅多に上演されなかった。ようやく1990年代になって、ツィルヒャーの音楽作品への幅広い関心がよみがえり、数々の録音や演奏に接することができるようになったのである。
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