作品の含意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 08:58 UTC 版)
本作の裏側を追ったドキュメンタリー短編 “Essence of Life” で、レッジョは『カッツィ』シリーズは単純に映像を体験してもらうために製作されたもので、「(作品が)意味するところは見た人それぞれに委ねます」と述べている。レッジョ曰く、「これらの作品は、テクノロジーや産業が人間にもたらした結果をひけらかそうとしたものではありません。三部作で表現されているのは、政治、教育、経済の構造、国家の基本構造、言語、文化、宗教、といったもの全て、テクノロジーという概念を構成しているもの全てなのです。(テクノロジーが)“もたらした結果”についての映画ではありません。私たちはテクノロジーを“利用している”のではなく、テクノロジーの中に“生きている”のです。テクノロジーはあらゆる箇所にいきわたり、空気と同じような存在と化しているのですから」とのこと。 本編中にはいっさいの説明や台詞は挿入されていないが、「コヤニスカッツィ」(常軌を逸し、混乱した生活。平衡を失った世界の意)というホピの言葉は作中の冒頭と最後で、フィリップ・グラスの曲にのせて Albert de Ruiter がバスの暗い調子で詠唱している。また、ホピの予言詩が最後の数分、アンサンブルで歌われており、エンド・クレジット前に内容の英訳がインサートされる。 ジャック・エリュール、 ギー・ドゥボール、イヴァン・イリイチらの著作から本作の基本構想を得たことが、エンドクレジットに記されている。
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