佐世保市立日宇小学校とは? わかりやすく解説

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佐世保市立日宇小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 03:32 UTC 版)

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佐世保市立日宇小学校
過去の名称 日宇小学校
公立中等日宇小学校
尋常日宇小学校
日宇尋常小学校
日宇尋常高等小学校
佐世保市日宇国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 佐世保市
設立年月日 1874年明治7年)5月
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
所在地 857-1151
長崎県佐世保市日宇町284番地
外部リンク 公式サイト
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佐世保市立日宇小学校(させぼしりつ ひうしょうがっこう)は、長崎県佐世保市日宇町にある公立小学校

概要

歴史
1874年(明治7年)創立の「日宇小学校」を前身とする。現校名になったのは学制改革が行われた1947年(昭和22年)。2014年平成26年)に創立140周年を迎えた。
校区
住所表記で佐世保市の後に「日宇町(一部)、大和町(元一組・元二組)、白岳町(一部)」が続く地域。中学校区は佐世保市立日宇中学校[1]
校章
上に「日」下に「宇」の文字を図案化したものを置き、「中」の文字を囲んだものとなっている。
校歌
作詞は中島英治、作曲は紙恭輔による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名の「日宇」は登場しない。

沿革

  • 1874年(明治7年)5月 - 旧庄屋跡を校舎に改築し、「日宇小学校」に改称。初代校長・訓導(教諭)に森本儀太郎が就任。児童数約20名。
  • 1880年(明治13年)- 木造2階建て校舎が完成。
  • 1885年(明治18年)- 「早岐学区公立中等日宇小学校」に改称。
  • 1887年(明治20年)4月 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上、「尋常日宇小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により東彼杵郡日宇村立の小学校となる。尋常科を修了した児童を対象とした補習科を併置。
  • 1892年(明治25年)- 「日宇尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更となる)。
  • 1899年(明治32年)5月 - 校舎がせまく、設備が不十分であったため、日宇村里免の辻の高地に校舎を新築。
  • 1901年(明治34年)4月 - 補習科を廃止の上、高等科を併置。これにより「日宇尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科4年)。
  • 1904年(明治37年)- 2教室増築。
  • 1905年(明治38年)4月 - 児童数の増加により、教室不足に陥る。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される(尋常科6年・高等科2年)。
    • 高等科1年を尋常科5年、高等科2年を尋常科6年、高等科3年を高等科1年、高等科4年を高等科2年に振り替える。
    • 収容児童数の増加により、既存の校舎では間に合わず、白岳神社の境内を借用し教場とする。
  • 1909年(明治42年)6月 - 校舎1棟(4教室)を増築。体操場を拡張。
  • 1911年(明治44年)- 児童の増加により二部授業を余儀なくされる。
  • 1915年(大正4年)3月 - 校地を拡張。校舎1棟(4教室)を増築し、二部授業を解消。
  • 1918年(大正7年)3月 - 木造2階建て12教室が完成。
  • 1923年(大正12年)- 児童の増加により、再び尋常科1・2年において午前・午後の二部授業を実施。
  • 1924年(大正13年)9月 - 福石尋常小学校の新設により、福石・大野(山澄近隣)・木風・崎辺(天神近隣)の児童が転出。
  • 1927年(昭和2年)4月1日 - 日宇村が佐世保市に合併したため、佐世保市立の小学校となる。手工科を設置。
  • 1936年(昭和11年)5月 - コンクリート防火壁2階建て4教室を増築。
  • 1939年(昭和14年)4月 - 校区改定により東浜町の尋常科児童が福石尋常小学校に転出。
  • 1940年(昭和15年)- 日宇町181番地に木造新校舎が完成し、移転を完了。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「佐世保市日宇国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 大和国民学校の新設により、高等科を分離。初等科のみ32学級となる。
  • 1944年(昭和19年)- 運動場を整備。
  • 1945年(昭和20年)4月 - 大和町三組の児童が福石国民学校に転出。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われ、「佐世保市立日宇小学校」(現校名)となる。後援会が保護者会に改組される。
  • 1948年(昭和23年)- 保護者会がPTAに改組される。
  • 1951年(昭和26年)- 東浜町の児童がすべて佐世保市立福石小学校に転出。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 黒髪地区の人口増加により佐世保市立黒髪小学校を分離。
  • 1979年(昭和54年)1月 - 鉄筋コンクリート造の管理棟が完成。

交通アクセス

最寄りの鉄道駅
最寄りの幹線道路

周辺

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 佐世保市通学区域 (PDF) - 佐世保市

参考資料

  • 「佐世保市史 教育篇」(佐世保市)p. 640 - p. 643

関連項目

外部リンク


佐世保市立日宇小学校(ひうしょうがっこう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/01 20:59 UTC 版)

佐世保市小学校一覧」の記事における「佐世保市立日宇小学校(ひうしょうがっこう)」の解説

所在地日宇町284番地児童数362名、14学級特別支援教室1を含む) 校区沖新町白岳町日宇町大和町日宇中学校区。 明治7年1874年)「日宇小学校設立尋常高等小学校国民学校経て現在に至る。 校歌「山は烏帽子朝日受けて…」作詞中嶋英治/作曲紙恭輔

※この「佐世保市立日宇小学校(ひうしょうがっこう)」の解説は、「佐世保市小学校一覧」の解説の一部です。
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