佐世保市立木風小学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 07:06 UTC 版)
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過去の名称 |
木風尋常小学校 佐世保市木風国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐世保市 |
設立年月日 | 1940年(昭和15年)9月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒857-1166 |
外部リンク | 公式サイト |
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佐世保市立木風小学校(させぼしりつ きかぜしょうがっこう)は、長崎県佐世保市木風町にある公立の小学校。
概要
- 校区
- 住所表記で佐世保市の後に「稲荷町、木風町、藤原町」が続く地域。中学校区は佐世保市立山澄中学校、佐世保市立福石中学校[1]。
- 校歌
- 作詞は永石三男、作曲は松本民之助による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「木風」が登場する。
沿革
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- 1940年(昭和15年)9月 - 福石尋常小学校の児童増加にともない、分離する形で「木風尋常小学校」が創立される。
- 校区を稲荷町・木風町・藤原町とし、児童数は831名、15学級でのスタート。
- 日宇尋常小学校の校舎を一部借用。初代校長に湯川虎男が就任。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「佐世保市木風国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1943年(昭和18年)8月 - 現在地に校舎が完成し移転を完了。この時の児童数は1,180名(23学級)。
- 1944年(昭和19年)4月 - 児童数の増加により、1・2年生において午前と午後に分けて二部授業を実施。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)11月 - 大黒町の元・女子工員宿舎を仮校舎として移転。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われ、「佐世保市立木風小学校」(現校名)となる。
- 1948年(昭和23年)6月 - 現在地に新校舎が完成し全児童収容を完了。ただし教室不足のため、1・2年生は分散授業を継続。
- 1949年(昭和24年)4月 - 校舎を増築。
- 1950年(昭和25年)4月 - 学区改定により、大宮町[2]の1年から3年の児童が転入。
- 1951年(昭和26年)4月 - 学区改定により、大宮町[2]の4年から6年の児童が転入。
交通アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
周辺
- 佐世保山祇簡易郵便局
- 佐世保警察署須田尾交番
- 佐世保市立山澄中学校
- 佐世保市立白南風小学校
脚注
参考資料
- 「佐世保市史 教育篇」(佐世保市)p. 646 - p. 647
関連項目
外部リンク
佐世保市立木風小学校(きかぜしょうがっこう)
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「佐世保市小学校一覧」の記事における「佐世保市立木風小学校(きかぜしょうがっこう)」の解説
所在地:木風町180番地。 児童数250名、13学級(特別支援教室2を含む) 校区:木風町・藤原町の一部・須田尾町の一部。山澄中学校区。 昭和15年(1940年)「木風尋常小学校」設立。国民学校を経て現在に至る。 校歌「烏帽子岳のふところに…」作詞・永石三男/作曲・松本民之助
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