低ザクセン語の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/26 07:29 UTC 版)
北ドイツで話される言葉が中部・南部ドイツの言語やオランダ語と異なる言語ではないのか、という指摘は過去から今日に至るまで幾度もなされていた。しかしドイツの言語学会(特に冷戦期の西ドイツ)ではこうした議論は半ば禁じられ、北ドイツの言葉に関する研究者達も暗黙の了解として「低ドイツ語」としての研究しか行えなかった。 政府の語学教育への圧力から、若年層の北ドイツ住民は自分達の「方言」が標準ドイツ語とは距離があるという事実を知らず、更にはアメリカに移住したドイツ地方出身者の多くが標準ドイツ語ではなく、低ザクセン語を用いている歴史的事実すら知らぬままに過ごしている。独立言語の象徴である「行政的手続での使用」も古サクソン語時代の様には叶わず、地方言語文学の製作も局地的な展開に留まっていた。これらは低ザクセン語の存続にとって重大な危機であり、言語の消滅はもちろん、低ザクセン語自体が各方言の一層の独自化により、更なる分裂を生む可能性もある。 しかし冷戦後のヨーロッパに広がったローカリズム(郷土主義)に由来する方言保護運動の高まりや、既存の国家の枠組みを緩めたい欧州連合の後援の元、他国他言語の方言同様に低ザクセン語もその地位向上が盛んに求められる時代になりつつある。80年代から90年代にかけて北ドイツ各地で低ザクセン語の復興運動が展開され、大きな成功を収めた。1994年に欧州連合は低ザクセン語を独立した地域言語であるとし、1999年にはヨーロッパ地方言語・少数言語憲章(European Charter for Regional or Minority Languages)による保護がドイツ政府に命じられている。これによって低ザクセン語は分布地域において公的に用いる事が可能になり、テレビなどの放送言語で実際に用いられている。「低ザクセン運動」が国内外での正当性を獲得した事は独立派にとっての大きな後押しとなった。 現在のところ低ザクセン語が公用語とされているのは、ニーダーザクセン州、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州、自由ハンザ都市ハンブルク、自由ハンザ都市ブレーメンで、北ドイツの大部分を含んでいる。しかし一方でザクセン=アンハルト州やブランデンブルク州などは非低ザクセン語圏と低ザクセン語圏の双方にまたがっているためか、1999年の保護対象からは除外されている。
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