伝統地政学の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:59 UTC 版)
フリードリヒ・ラッツェル(1844 - 1904) ルドルフ・チェレーン(1864 - 1922) 伝統地政学の理論的基盤を用意したのは、地理学者のフリードリヒ・ラッツェルであると考えられている。生物学者でもあった彼は、進化論の枠組みを国家においても適用し、諸国家は自らの「生存圏」を拡張しようとする生物的本性を有しているとする、国家有機体説を唱えた。ラッツェルは、国家の成長の基礎は地理的基礎の領土に規定されると考え、次の7原則を唱えた。 ①国家の規模は文化とともに成長する。②国家の成長は国民の成長に従う。国民の成長は必然的に国家の成長に先立たねばならない。③国家の成長は小国の合併によって進行する。④国境は国家の周辺的器官であり、国家の成長と防御の担い手であり、国家という有機体の変化のすべてに携わる。⑤国家は、その成長過程において、政治的に価値のある位置を囲い込む方へとせめぎ合う。⑥国家の空間的成長に対する最初の刺激は外部からもたらされる。 ⑦領土の併合から合併へと向かう一般的傾向は国から国へと伝えられ、次第に強められる。 国家は成長ないし衰退する有機体であり、環境に応じて版図を広げていくとするこの学説は、統一および植民地獲得によって特徴づけられる、当時のドイツの歴史を色濃く反映するものであった。 「地政学」(独: Geopolitik)の用語は、1899年にスウェーデンの国家学者・政治家であるルドルフ・チェレーンにより提唱された。彼は、ラッツェルの有機体的な国家観を踏襲しながら、有機体としての国家の行動を分析するシステムについて思索を深めた。チェレーンは、国家の本質は法律的要素と勢力的要素から成り立っていると考え、国内においては国家の法的な側面を重視するべきであるのに対して、対外的には国家を領土を肉体、国民を精神とする生命体であると定義する、有機体的な国家概念を強調するべきだと主張した。
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