会社の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:46 UTC 版)
ニキシー管を代替する表示デバイスとして、中村は蛍光表示管の研究・開発を進めた。蛍光表示管には 自己発光型(プラズマディスプレイ、LEDなどと同様)なので輝度が高い。 LSIにより低電圧で直接駆動するため、消費電力が少ない。 視認性の高い7セグメントやドットマトリクスディスプレイとして単純な工程で生産できる。 耐熱性・耐湿性に優れている。 などの長所がある。開発にあたり、神戸工業時代の研究グループのメンバーを集め、カソードの改良は日本電子材料に、酸化亜鉛を用いた蛍光体の高輝度化は大日本塗料にそれぞれ開発協力を依頼した。また早川電機からもテスト結果の通知などを受け開発は順調に進み、創業から1年後の1967年9月には早川電機が電卓に採用する事が正式に決まった。この傍らで収入源として、小型ブラウン管の開発も行ない、スタンダード工業に納入していたが、ニクソン・ショックにより先方がテレビ生産を中止したためブラウン管の生産は打ち切られた。 1967年5月に米国Electronics誌にて紹介されると、蛍光表示管は注目を集め、企業規模は急速に世界市場に拡大した。国内外で特許出願をするとともに商品名を"itron"とした。これは現在まで続き、英語社名の由来ともなっている。日本電気と特許の供与、双葉電子工業とは生産委託の契約を結び、20億円以上の収入を得て中央研究所を設立し、研究・開発をさらに進め、一文字ごとだった表示管を一体化した多桁管の開発などに成功。材料や工法の要素技術、さらに半導体や電子回路、ソフトウエア技術への展開の原点となった。
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