仙台にて活動第一期
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フリーランスでの活動を開始 支倉学園 創表現専門学校で講師を勤め、後にテクニカルプロデューサーとしてカリキュラム制作にも携わる。 コマーシャルの世界で活躍(小学館プロダクツ「らんま1/2」、三越、コーセー、カネボウ化粧品、資生堂、ジバンシー、TOYOTA、東北電力、77銀行、藤崎、エンドーチェーンなど) 仙台市民ミュージカル『OH ! ZEI !』のメイクデザインを担当。この舞台で、ミュージカル演出家 梶賀千鶴子と出会う。 梶賀主宰のSCSミュージカル研究所で、立ち上げよりメイクデザインを担当。1ヶ月に新作1本と言うミュージカルメイクのデザインが刺激になり、hideスタイルのメイクアップ理論がここで確立した。 1991年、同研究所の代表作でもある『TAROH(タロウ)』『МОTHER(マザー)』のキャラクターを発表。【早い、綺麗、崩れない、壊れないメイク術】はココで生みだされ進化し続ける。 コーセー総合美容研究所からのオファーを受け翌1992年、拠点を東京に移す。同時に母校ザ・ベストメイキャップ・スクールのテクニカルプロデューサーとして参加。 この頃から活動の範囲がワールドワイドに広がり、数々のコレクションを渡り歩きはじめた。パリで自らのメイクアップコレクション『ガラスの地球(テラ)すくえ』はフランス国営放送にも取り上げられる。これが、活動第二期におけるロレアルとの仕事につながっていった。
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