他の論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/25 05:49 UTC 版)
「フレディ・マーキュリー」の記事における「他の論争」の解説
クイーンは、アパルトヘイトが行われていた南アフリカのホームランド、ボプタツワナのエンターテイメント施設、サン・シティでライブを行い、1987年の国連によるカルチャー・ボイコットを破ったとして、多く批判された。これらのライブの結果、クイーンはボイコットを破ったアーティストとして国連のリスト(他に、ロッド・スチュワート、ステイタス・クォーも含まれる)に載ることとなり、NMEのような雑誌からも広く批判された。これに対し、ブライアン・メイは「バンドは政治ではない。俺たちの音楽を聴きたい人のためなら、どこでも演奏する」と反発した。クイーンは、その得た収益の一部を、聴覚・視覚障害者のための学校へ寄付した。 フレディが60歳になっていたであろう誕生日の大規模な祝賀を取り消すことをイスラム活動組織UAMSHO(英語版)(Islamic Mobilization and Propagation)と呼ばれる機関がザンジバルの政府文化庁に請願し、2006年8月より論争が続いた。この組織は、フレディが本当のザンジバル人ではなかったこと、シャリーアに反し、彼が同性とも恋愛することなど、計画された祝賀会に対していくつか苦情を出した。組織は、「ザンジバルとフレディを結びつけることは、イスラムの土地である私たちの島の価値を下げる」と主張した。この祝賀計画は取り止められた。
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