他の諸将の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 05:36 UTC 版)
柴田勝家 上杉対策を前田利家、佐々成政らに託し京に向かったが、越前・近江国境の柳ヶ瀬峠に到達したところで合戦の報が入り、そのまま清洲城に向かった。 滝川一益 織田信長・信忠の死に乗じて北条軍が上野に侵攻(一説には北条氏政から変についての情報がもたらされ、「北条は手出ししない」という声明もあったが一益はこれを偽計と判断)し、神流川の戦いに至る。第一次合戦で北条勢を退けるものの第二次合戦で大敗し、碓氷峠から本拠地・伊勢に7月に帰還。清洲会議にも参加できず、以後零落の一途をたどる。 徳川家康 いわゆる神君伊賀越えを経て岡崎城から光秀討伐に向かったが、鳴海(一説に熱田。酒井忠次は北伊勢まで進出していた)に到達したところで合戦の情報が入り反転。以後、空白地帯となった甲斐・信濃の領土化を目指し、同じく甲斐・信濃の領土化を目指した北条氏と天正壬午の乱で戦う。
※この「他の諸将の動き」の解説は、「山崎の戦い」の解説の一部です。
「他の諸将の動き」を含む「山崎の戦い」の記事については、「山崎の戦い」の概要を参照ください。
- 他の諸将の動きのページへのリンク