他の大名家・藩での評判とは? わかりやすく解説

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他の大名家・藩での評判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:28 UTC 版)

吉良義央」の記事における「他の大名家・藩での評判」の解説

忠臣蔵悪役として有名な義央の評価全国的に芳しくない。もっとも忠臣蔵上演される以前から、義央が行っていた長矩に対するいじめの話は広く世間知られていたようであり、また義央が浅野長矩以外の御馳走人にもいじめを行っていたという逸話残っている。 浅野刃傷に及ぶ前、伊予大洲藩主加藤泰恒出羽新庄藩主・戸沢正庸日光法会中に受けた義央のいじめを浅野伝えお役目終えるまで耐えよと諭したという話が『冷光君御伝記』や『義人録』などに記されている。 尾張藩士の朝日重章日記である『鸚鵡籠中記』に、「吉良欲深き者故、前々音信にて頼むに、今度内匠仕方不快とて、何事に付けて言い合わせ知らせなく、事々において内匠齟齬すること多し内匠これを含む。今日殿中において御老中前に吉良いいよう今度内匠万事不自由ふ、もとより言うべからず公家衆不快に思さるという。内匠いよいよこれを含み座を立ち、その次の廊下にて内匠刀を抜きて詞を懸けて吉良烏帽子をかけて頭を切る」とある。 「吉良は欲が深い者ゆえ、前々から皆贈り物をして頼んでいたが、今度内匠頭やり方が不快ということで、何事につけて知らせをせず、事々において内匠頭間違って恥をかくことが多かった内匠頭はこれを遺恨思った今日殿中における御老中の前での吉良言い様は、今度内匠頭やること万事思うようにならなかったのだから、もとより言うべきではなかった。公家衆不快に思ったという。内匠頭はいよいよこれを遺憾に思って座を立ち、その次の廊下刀を抜いて、声をかけて吉良烏帽子ごと頭を斬った」「浅野家四十七人は「主人恨み報復すると言いたて、吉良の首を取って泉岳寺立ち去った元禄11年1698年)、勅使御馳走人となった亀井茲親は義央からいじめを受け、耐えかねた茲親は家老多胡真蔭洩らしたという。真蔭は主君諫める一方で密かに金遣役を呼んで納戸金一箱を取り出させ、茶菓子のなかに入れて手土産として吉良邸へ持参し主君無礼詫びたうえ、指導引き回し懇願して帰邸。翌日より茲親への態度急に優しくなったので事なきを得た、という話が津和野名産茶菓子源氏巻誕生逸話として残っている。

※この「他の大名家・藩での評判」の解説は、「吉良義央」の解説の一部です。
「他の大名家・藩での評判」を含む「吉良義央」の記事については、「吉良義央」の概要を参照ください。

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