人骨の再調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 10:06 UTC 版)
2004年に湖への遠征隊が組まれ、遠征隊が持ち帰った100個のサンプルに対して科学的調査が行われた。そこから判明したのは、ループクンド湖に沈む人骨が、2グループに分けられるということであった。30%を占めた1グループは背が低い人々のグループ(おそらくは地元のポーターであろう)、残る70%は背が比較的高い人々のグループである。そして、背の高い人々のグループはDNAに見られる突然変異の観点から、「チットパワン(英語版)」(マハーラーシュトラ州コンカン地方(英語版)生まれのバラモン階級の人々)が持つ特徴に非常に近いことがわかった。DNAテストはハイデラバードの細胞分子生物学研究所で行われ、チットパワンのミトコンドリアDNAに特徴的に見られる3カ所の突然変異が、サンプルのmtDNAにも見られた。 2018年のDNA鑑定の結果、遺骨が2つの異なるグループに属していることが明らかとなった。 1つ目のグループは、南アジアに関連する人であり、2つ目のグループは、地中海の東部地方と遺伝的親和性のある人で構成されていた。さらに、死因に共通することがあることもわかった。ループクンド湖に沈む人骨はみな、上から落ちてきたクリケットのボール程の大きさの丸い物体により、後頭部を強打していた。調査を行った科学者らは、ちょうど地元の伝説や歌に歌われている通り、犠牲者らは突然の暴風雨に見舞われて亡くなったものと結論した。 しかしながら、彼らがどこを目指していたのかという問題については答えが出ていない。このエリアにチベットへ向かう通商ルートがあったという歴史的証拠はない。ループクンド湖は、ナンダ・デヴィー山を神体とし、12年おきにナンダ・デヴィー・ラージャ・ジャート祭(英語版)を行うナンダ・デヴィー信仰における重要な巡礼ルート上にある。 2019年の再調査では38体の骨が分析されたが、それぞれの遺骨の時期がまるで違い、最も新しい骨と古い骨との間が1000年以上も離れていることが判明し、すなわち前述の説を完全に否定することとなった。放射性炭素年代測定により、南アジア系の遺体が西暦800年頃、その他の遺体が1800年頃と推定された。
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