人間審査( -2011年)
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「全日本プロドリフト選手権」の記事における「人間審査( -2011年)」の解説
2011年までは審査員による採点が行われ、各走行を100点満点で得点化し、それを用いて順位や勝者を決定していた。また、審査席から見にくい場所でのドリフトの戻り、ライン取り、プッシングなどの減点要素を判定するために、加減点を示す旗を持った副審査員がコース脇に配置されていた。副審査員の持つ旗には、前述の減点要素があった際に振る「青旗」と、単走時での素晴らしい飛び出しの際に旗を振って得点を加算する「ファンタスティック旗」(通常は国旗)の2つがある。単走では、コーナーへの進入スピード、角度、ライン(俗に飛距離と角度と滞空時間と表現されることも)、そしてどれだけ危険(壁など)に迫ることが出来たかが審査のポイントになった。追走では、相手よりも「スゴイ」走り(追い抜き、後ろからピッタリ寄せるなど)が出来たかがポイントとなり、単走でのポイントよりも重視される。スピン、アンダーステアはノーポイント。 2004年までは、土屋圭市(審査委員長)・鈴木学(審査委員・MC担当)、織戸学の3人で審査を行い、3人の審査委員の平均得点で勝負が決まっていた。副審査員は元D1ドライバーの神本寿。2005年から織戸が選手に転向したため、土屋圭市と鈴木学の2人で審査を行った。なお、2005年以降、鈴木学は単走の審査に関わっていない事がオフィシャルブックによって公開されている。彼が行うのは、単走1-3本目の得点と進入速度が全て同じだったときの順位付けと、追走トーナメントの第3-4位、第5-8位、第9-16位それぞれの順位決定の二箇所である。ただし、前者は一度も適用例が無い。 2009年からは審査員が土屋圭市、稲田大二郎、神本寿、山路慎一の4名となり、単走は各審査員の平均得点、追走は合算で行われるようになった。そして、追走審査において、合算した結果、差が0.5以下であった場合はサドンデスとなる。 土屋が2010年限りでD1から離れたため、2011年からは審査体制を大幅に変更。基本は5人の審判員のうち最高得点と最低得点を出した二人の得点を除いた3人分の得点を平均したものを審査得点とすることになった。審査員は神本がチーフに昇格し、残る4人は山路・飯田章・山田英二というプロドライバー3名に、雑誌『ドリフト天国』編集長の川崎隆介という体制になる。 土屋が審査委員長を務めていた頃は、単走、追走共に審査基準が以下のように年々変わった。 2001年 - 単走、追走ともに速度重視。 2002年 - 単走は角度、追走は角度が甘くても接近すること。 2003年 - 単走は速度と共に角度、追走は距離を詰めて角度が甘すぎない事。 2004年 - 単走は速度を殺さずに角度を付け、白煙を出すこと。追走は距離を詰める事はもちろんだが、角度が負けない事。 2005-2007年 - 単走はラインを外さずに角度と白煙の走り。追走はきちんとしたラインで入り、同じ角度で距離を詰める事。 2008年- 単走は速度が審査対象から外され、ライン・角度・白煙を重視。追走は2005年度からの対象に準ずる。 2009年-2010年 追走は今までにプラスして「同時振り」が審査の対象に加わる
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