人徳者・仏佐吉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 人徳者・仏佐吉の意味・解説 

人徳者・仏佐吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 08:55 UTC 版)

永田佐吉」の記事における「人徳者・仏佐吉」の解説

貧し農民の子として生まれる。幼くして両親死別継母育てられる10歳の頃、尾張国名古屋紙問屋丁稚奉公へ出る。まじめに働きながら読み書き覚える。まじめぶりが災いして問屋の他の店員疎まれ主人から惜しまれながら去る。 郷里の竹ヶ鼻へ戻ると、綿の仲買始める。正直でまじめな働きぶりから人々から信頼を得、財をなす。綿の値段相手言い値売買したり、餅屋始めた際、同業者に迷惑をかけないように値段高めにするといった、様々な話が伝わる。佐吉商売は、相手との信頼関係第一したものであった。 しかし、その財は私利私欲のためでなく、道の整備道標設置石橋の設置神社仏閣への寄進等、人々のために使われた。佐吉はこれらの寄進寄付寄贈自分の名前は残さず全員が行ったとしている。 私利私欲は全くなく、母親人々のためにつくし、深く仏を信仰し人徳者だったという。このような話は数多くあり、人々佐吉を「仏佐吉」として尊敬したという。 1750年寛延3年)、母親人々のために大仏建立する佐吉大仏)。この大仏江戸鋳物師発注したが、船で運搬中に嵐で沈んでしまう。佐吉は「大仏海中から人々守ってくださる」と船主責めことなく再度江戸大仏発注したという。 明治21年1888年8月刊行尋常小学校教科書尋常小学修身口授教案』には、親孝行人徳信仰信頼謙虚という点から、題目善き人にはさひわいがくる』として紹介されている(この資料国立国会図書館デジタルアーカイブとしてオンライン閲覧することができる)。

※この「人徳者・仏佐吉」の解説は、「永田佐吉」の解説の一部です。
「人徳者・仏佐吉」を含む「永田佐吉」の記事については、「永田佐吉」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「人徳者・仏佐吉」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

人徳者・仏佐吉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



人徳者・仏佐吉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの永田佐吉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS