仏佐吉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 仏佐吉の意味・解説 

仏佐吉

江戸中期商人美濃生。綿の仲買により富を得る。信仰心厚く、竹ヶ鼻の住地に大仏安置し、又社会奉仕尽力したため、「仏佐吉」と呼ばれた寛政元年1789)歿、89才。

永田佐吉

(仏佐吉 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 08:07 UTC 版)

永田 佐吉(ながたさきち、元禄14年(1701年) - 寛政元年10月10日1789年11月26日))は、美濃国羽栗郡竹ヶ鼻村(現・岐阜県羽島市)出身の豪商、人徳者。別名仏佐吉。号は覚翁、実道。

人徳者・仏佐吉

貧しい農民の子として生まれる。幼くして両親と死別、継母に育てられる。10歳の頃、尾張国名古屋の紙問屋へ丁稚奉公へ出る。まじめに働きながら読み書きを覚える。まじめぶりが災いして問屋の他の店員に疎まれ、主人から惜しまれながら去る。

郷里の竹ヶ鼻村へ戻ると、綿の仲買を始める。正直でまじめな働きぶりから人々から信頼を得、財をなす。綿の値段を相手の言い値で売買したり、餅屋を始めた際、同業者に迷惑をかけないように値段を高めにするといった、様々な話が伝わる。佐吉の商売は、相手との信頼関係を第一としたものであった。

しかし、その財は私利私欲のためでなく、道の整備、道標の設置、石橋の設置、神社仏閣への寄進等、人々のために使われた。佐吉はこれらの寄進や寄付、寄贈に自分の名前は残さず、村全員が行ったとしている。

私利私欲は全くなく、母親や人々のためにつくし、深く仏を信仰し、人徳者だったという。このような話は数多くあり、人々は佐吉を「仏佐吉」として尊敬したという。

1750年寛延3年)、母親と人々のために大仏を建立する(佐吉大仏)。この大仏は江戸の鋳物師に発注したが、船で運搬中に嵐で沈んでしまう。佐吉は「大仏は海中から人々を守ってくださる」と船主を責めることなく、再度江戸に大仏を発注したという。

明治21年(1888年)8月刊行の尋常小学校の教科書『尋常小学修身口授教案』には、親孝行、人徳、信仰、信頼、謙虚という点から、題目『善き人にはさひわいがくる』として紹介されている(この資料は国立国会図書館デジタルアーカイブとしてオンラインで閲覧することができる)。

関連項目

脚注

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「仏佐吉」の関連用語

仏佐吉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



仏佐吉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの永田佐吉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS