人工繁殖の成功
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1998年(平成10年)、中華人民共和国の江沢民国家主席(当時)が来日し、第125代天皇(当時、現明仁上皇)に中国産トキのつがいを贈呈することを表明した。翌1999年1月11日、天皇に贈呈されたトキを新潟県新穂村(現・佐渡市)佐渡トキ保護センターで飼育することが発表され、同月30日にオス個体「友友(ヨウヨウ)」とメス個体「洋洋(ヤンヤン)」が来日した。 日本に「贈呈」(譲渡)されたのはこの「友友」と「洋洋」が初めてで、現在でもこの2羽のみである。「友友」と「洋洋」のほかに3羽が日本に送られているが、いずれも中国から「供与」(貸出)されているもので、その個体と日本の個体との間に生まれた子供は、半数(奇数子または偶数子のいずれか、供与時の覚書で都度取り決め)を中国に移送することになっている。 1999年(平成11年)5月21日には、「友友」と「洋洋」に間にオスのヒナが誕生した。環境庁は、同年6月1日に全国の小学生を対象に名前を公募し、7月2日に1万1千通以上の応募結果を踏まえ「優優(ユウユウ)」に決定したと発表した。これが日本初の人工繁殖例であった。 2000年(平成12年)、日本における人工繁殖の成功を受け「優優」のペアリング相手としてメス個体「美美(メイメイ)」を中国から供与された。 「友友」「洋洋」のつがいからは、同2000年に2羽(「新新(シンシン)」と「愛愛(アイアイ)」)、2001年(平成13年)に3羽のヒナが誕生している。2002年(平成14年)からは「友友」と「洋洋」、「優優」と「美美」のつがいを中心に人工繁殖が続けられ、この年から翌2003年(平成15年)にはさらにその子孫のペアで人工繁殖が行われていたほか、2004年(平成16年)には自然育雛にも成功している。以後、つがいが増えたこともあり、順調に人工飼育数は増加している。 なお、環境省は2001年以降は、トキの個体数増加に伴い、固有の名称による管理を廃止している。 2004年(平成16年)時点の日本におけるトキの繁殖の系図 友友 オス(No.17) 洋洋 メス(No.16) 優優 オス(No.18) 美美 メス(No.19) No.27 オス No.40 メス No.35 オス No.26 メス 新新 オス(No.20) No.23 メス ※番号は、2004年(平成16年)時点の足環番号※友友、洋洋は中華人民共和国より寄贈、美美は同国より供与※新新とNo.23は、翌2005年(平成17年)以降、それぞれ別の個体とペアになっている。 飼育数の増加に伴い鳥インフルエンザなどの感染症が発生した場合に一度にすべてが死亡することを避けるため、環境省によりトキの分散飼育が計画され、これに対して新潟県長岡市、島根県出雲市、石川県が受け入れ先として立候補、それぞれトキ亜科の近隣種を導入して飼育・繁殖の訓練を行った。2007年12月に4羽(2つがい)が多摩動物公園に移送され非公開の下で分散飼育が開始された。その後も、2010年1月にいしかわ動物園で、2011年1月に出雲市トキ分散飼育センターで、2011年10月に長岡市トキ分散飼育センターで、それぞれ分散飼育が開始された。 2007年(平成19年)4月11日、中華人民共和国の温家宝首相(当時)が来日し、安倍晋三首相と会談した際、中国側がさらに2羽のトキを供与することで合意し、同日、日本の環境省と中国国家林業局(当時)は覚書を交わした。同年11月に中国から「華陽(ホワヤン)」と「溢水 (イーシュイ)」」が供与された。
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