交通拠点の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 00:58 UTC 版)
第二次大戦後、高度経済成長期(1960年代)までには国道4号の舗装が完了し、1970年代には東北自動車道も建設されたため、主に京浜工業地帯の企業が、安い土地と労働力を求めて、関東地方に比較的近い福島県中エリアに進出した。これは、当時の福島県知事である木村守江が、常磐郡山新産業都市として中通り中部の開発を促したからである。中通りでは北部の福島市近辺では公共事業関連業種が発展し、中部の郡山近辺では内陸機械工業が発展し、共に資本関係からも関東との繋がりが深い地域となった。この頃から、モータリゼーションと郊外住宅地の開発が中通りで始まった。 1982年6月23日には東北新幹線が開通し、各都市で第三次産業人口比率が更に大きくなった。中通りでは、福島市が業務機能の中心地、郡山が商業の中心地、白河が県南エリアの拠点という棲み分けを確立していった。1990年代には、郡山出身の佐藤栄佐久知事の下で、中通り本宮以南と会津地方が重点的にインフラを整備された。この佐藤栄佐久知事下を象徴するインフラが、1993年に須賀川付近に開設された福島空港と、1997年10月1日に全通した磐越自動車道である。この結果、中通り中部や会津地方に、流通・工業地区が集約されるようになった。 2011年3月11日に発生した東日本大震災を動機に、会津地方・置賜地方~中通り~浜通りを結ぶ高速道路(通称:復興道路、復興支援道路)の整備が促進されることになった。中通りと浜通りを結ぶ連絡高速道路として、1997年10月開通の磐越自動車道(郡山~平)に加えて、2018年には東北中央自動車道(福島~中村)が開通を予定している。
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