五市合併とは? わかりやすく解説

五市合併

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:17 UTC 版)

門司市」の記事における「五市合併」の解説

1963年2月10日 - 八幡市戸畑市小倉市若松市合併して北九州市となり消滅1963年4月1日 - 北九州市政令指定都市昇格に伴い旧市域門司区となる。

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五市合併

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 21:23 UTC 版)

門司の歴史」の記事における「五市合併」の解説

明治以来北九州の各市(門司小倉若松八幡戸畑)と下関市との合併論は度々持ち上がっており、昭和に入ってからも、3回合併運動展開されたが、失敗終わっていた。門司市は、1948年昭和23年)に北九州五市合併総合研究委員会ができた時(第3回合併運動)には、下関市入れた六市合併を譲らなかった。その背景には、合併により港湾機能小倉移転し門司が「場末化して衰退するおそれがあるという懸念があった。しかし、1960年昭和35年)、八幡市長大坪純が五市市長会で五市合併を提案したことを機に合併現実性帯びようになった第4回合併運動)。北九州工業地帯地位低下対す危機感生活圏拡大背景に、柳田桃太郎門司市長も五市合併に賛同し1961年昭和36年)、各市議会賛成決議がされた。市名市民から募集された名前の中から北九州市決定し1963年昭和38年2月10日北九州市発足人口103万人余り)、4月1日政令指定都市となり、門司市門司区となった合併機に1964年昭和39年)、門司港小倉港洞海港の3港は、北九州港管理組合(後に北九州市港湾局)が管理する北九州港となった

※この「五市合併」の解説は、「門司の歴史」の解説の一部です。
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