五市合併
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1963年2月10日 - 八幡市、戸畑市、小倉市、若松市と合併して北九州市となり消滅。 1963年4月1日 - 北九州市の政令指定都市昇格に伴い旧市域が門司区となる。
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五市合併
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明治以来、北九州の各市(門司、小倉、若松、八幡、戸畑)と下関市との合併論は度々持ち上がっており、昭和に入ってからも、3回、合併運動が展開されたが、失敗に終わっていた。門司市は、1948年(昭和23年)に北九州五市合併総合研究委員会ができた時(第3回合併運動)には、下関市を入れた六市合併を譲らなかった。その背景には、合併により港湾機能が小倉に移転し、門司が「場末」化して衰退するおそれがあるという懸念があった。しかし、1960年(昭和35年)、八幡市長大坪純が五市市長会で五市合併を提案したことを機に、合併が現実性を帯びるようになった(第4回合併運動)。北九州工業地帯の地位低下に対する危機感や生活圏の拡大を背景に、柳田桃太郎門司市長も五市合併に賛同し、1961年(昭和36年)、各市議会で賛成決議がされた。市名は市民から募集された名前の中から北九州市に決定し、1963年(昭和38年)2月10日に北九州市が発足(人口103万人余り)、4月1日に政令指定都市となり、門司市は門司区となった。 合併を機に、1964年(昭和39年)、門司港、小倉港、洞海港の3港は、北九州港管理組合(後に北九州市港湾局)が管理する北九州港となった。
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