五十首応募への投稿とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 五十首応募への投稿の意味・解説 

五十首応募への投稿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:13 UTC 版)

中城ふみ子」の記事における「五十首応募への投稿」の解説

短歌研究」は1953年12月号に五十公募実施発表した。「辛夷短歌会」の主催者野原嶺は同人ふみ子大塚陽子応募するよう勧めた。もともと短歌で名の成したい願っていたふみ子自身乗り気であった。 ところでふみ子癌の再発判明し再手術そして札幌医科大学附属病院への入院待ちをしている時期短歌結社の「新墾」は内部対立見舞われていた。「新墾」は全国組織短歌結社、「潮音」の影響にあったが、若手同人の中から「潮音」の影響下からの脱却求める声が噴出したのである結局新墾」から若手同人脱退者が相次ぎ山名康郎中心とした脱退者新組織の「凍土」を立ち上げた。 「新墾」の中で有力歌人であったふみ子ところにも「凍土」に参加するように誘いが来た。ふみ子はもう長く生きられない思っており、今のうちにやりたいことはやっておきたいと、凍土への参加承諾した。しかしふみ子は他の参加者とは異なり、「新墾」から脱退することはなかった。 1954年昭和29年)の新年ふみ子入院待ちの状態のまま帯広迎えた正月早々ふみ子山名康郎会っている、ふみ子山名に「野原先生から是非出すように勧めるのだけど自信が無いの」と言いつつ、「冬の花火」と題された約30首の歌を見せられた。一読した山名激賞し絶対に応募するように勧めた。この時山名は「ある乳癌患者のうた」との副題付けた上、応募原稿用紙が目立つように赤いリボン綴じアイデア出した。またこの時ふみ子山名に「入院した毎日お見舞いに来るように」お願いした。結局山名日課のように仕事帰りふみ子病室顔を出すうになる1月7日ふみ子札幌医科大学附属病院入院する入院時点で約40首が完成していたと伝えられている。締め切り1月15日病床残り10首を完成させ、題は「冬の花火」、副題山名勧めた「ある乳癌患者のうた」、そして原稿用紙赤いリボン付け締め切り直前郵送した

※この「五十首応募への投稿」の解説は、「中城ふみ子」の解説の一部です。
「五十首応募への投稿」を含む「中城ふみ子」の記事については、「中城ふみ子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「五十首応募への投稿」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「五十首応募への投稿」の関連用語

五十首応募への投稿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



五十首応募への投稿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中城ふみ子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS