二条良基の活躍と二条家の家業化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:09 UTC 版)
「即位灌頂」の記事における「二条良基の活躍と二条家の家業化」の解説
即位灌頂が二条家の家業となっていく過程で、足利義満と親密な関係を保ち、南北朝時代に四度にわたって摂関を勤め、大きな権力を握った二条良基の力が大きかったことについては諸説一致している。 二条良基は観応の擾乱に際して北朝再建に尽力した。また三種の神器が無い上に、譲国の詔を発する治天の君が不在で、やむなく広義門院を治天とし、即位にこぎつけた後光厳天皇以降の北朝が、天皇としての正統性に傷がついた状況にある中で、状況の改善に腐心した。二条良基は即位灌頂を北朝の天皇の新たな権威の源泉として、儀式としての整備を進めた。そして四度にわたり摂関を勤めた二条良基は、数代の天皇の即位時に印明伝授を行い、即位灌頂の儀礼としての定着にも大きく貢献した。その結果、即位灌頂が二条家の家業となっていく道筋を開いた。 また、二条良基は後円融天皇の大嘗会神膳供進の儀の際、後円融天皇に印相と真言を伝授し、天皇は儀式中に印相を結び、真言を唱えた。神道の儀式である大嘗会で印相を結び真言を唱えたという記録は今のところ他に見られないが、即位灌頂が天皇の即位式ばかりではなく、大嘗会にも関係があったことを示す興味深い記録である。なお、大嘗会が後柏原天皇以降いったん中絶したことが、他に記録がない原因である可能性がある。いずれにしても宮廷の重要儀式である即位式と大嘗会に、二条良基が深く関わっていたことがわかる。
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