二条良基の北朝・幕府融合策
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「南北朝時代 (日本)」の記事における「二条良基の北朝・幕府融合策」の解説
管領細川頼之と協同して北朝・室町幕府の安定化を計ったのが、連歌を完成した中世最大の文化人の一人であり、北朝の摂政・関白・太政大臣を歴任した准三宮二条良基である。 自前の武力を持たなかったことから幕府の傀儡と思われがちな北朝であるが、実際はいまだ多く残る荘園支配や蓄積された朝廷法の知識によって一定の権力と権威を有した。良基は、義満の指南役となって朝廷文化を伝え、公家側に引き込むことで、能動的に北朝と室町幕府の一体化を促した。良基の画策によって、武家の棟梁は、伝統的な「鎌倉殿」ではなく、京都を拠点とする「室町殿」となった。
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