二条離宮として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:42 UTC 版)
明治17年(1884年)7月 - 宮内省の所管となり「二条離宮」となる。 明治18年(1885年) - 京都府庁が移転した後、二の丸御殿の修理が明治25年(1892年)まで行われる。 明治26年(1893年)〜27年(1894年):京都御苑の今出川門脇に位置する旧桂宮邸の御殿群を明治天皇の意向により本丸へ移築し、本丸御殿とする。 その後明治期には、皇太子時代の大正天皇が10回滞在され離宮としても重要な役割も果たした。 大正4年(1915年) - 大正天皇即位の儀式である即位礼の饗宴場として二条離宮が使用され(現清流園の位置)、それに伴い南門が増築される。 昭和14年(1939年) - 京都市に下賜される。 昭和15年(1940年) - 「恩賜元離宮二条城」として一般公開される。
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