二林事件後の略歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/28 08:54 UTC 版)
1932年(昭和7年)中国大陸福建省厦門に潜入、のち1943年(昭和18年)上海の日本租界に定住し李偉光と改名。密かに中国共産党と連絡を取り、施石青、郭星如等とともに「台湾解放連盟」を結成。 1945年、中国共産党の地下工作員である張志忠、蔡孝乾等が台湾に渡るのを援護した。 1949年、「台湾解放連盟」政協代表兼上海台湾同郷会会長に就任した。 1954年、中国の全国人民代表大会代表となったが、間もなく病死した。
※この「二林事件後の略歴」の解説は、「李応章」の解説の一部です。
「二林事件後の略歴」を含む「李応章」の記事については、「李応章」の概要を参照ください。
- 二林事件後の略歴のページへのリンク