二林事件の首謀者としてとは? わかりやすく解説

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二林事件の首謀者として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/28 08:54 UTC 版)

李応章」の記事における「二林事件の首謀者として」の解説

二林事件とは、日本統治時代の台湾彰化二林地区発生した待遇改善求め甘薯農家らによる農民運動であり、その後台湾農民運動嚆矢となった事件である。この事件背景は、以下のとおりである。1923年大正12年)から二林地区甘蔗農民は、「林本源製糖株式会社」の渓洲製糖工場甘蔗価格引き上げるよう要求続けていたが、工場からの回答得られなかった。そこで1925年大正14年1月1日二林地区出身医師であった李応章等が中心となり、甘蔗農民らの力を結集すべく農民大会開いた6月28日には総理となり二林蔗農組合として正式に組織された。会員400余りだった。これは台湾最初農民運動である。10月6日には、等は会社対し、①台湾総督府機関による買付期日決定、②刈り取り前の買付価格公示すること、③肥料甘蔗農民自由に購入できるようにるすこと、④双方協議による買付価格の決定、⑤刈り取った甘蔗重量検査する時は双方一緒に監視することを要求した、しかし会社はこの要求拒否10月22日林本源製糖会社刈り取り強制買付け実行した二林地区甘薯農家がこれに反発し警察との衝突発展した警察は、総勢400名余を逮捕した事件中心人物であるは、1927年4月懲役8ヶ月有罪判決言い渡された。

※この「二林事件の首謀者として」の解説は、「李応章」の解説の一部です。
「二林事件の首謀者として」を含む「李応章」の記事については、「李応章」の概要を参照ください。

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