久世の典学館と「久世条教」とは? わかりやすく解説

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久世の典学館と「久世条教」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 02:26 UTC 版)

早川正紀」の記事における「久世の典学館と「久世条教」」の解説

1787年天明7年)、久世赴任した正紀は、自身あるいは御教役による廻村教育行なったその後寺院毎月檀家対象とした教育義務づけ、さらに広く村民対象にした教育にも注力した。ちなみに、徳のある村民教師として置いたと言う1791年寛政3年)に久世教諭所開設1794年寛政6年)に教育大旨示達。翌1795年寛政7年)、久世に典学館起工1796年寛政8年)に完成している。典学館の名前は、常に学問従事する、という意味である。 典学館世話役には、久世教諭所建立世話人でもあった、久世村蔵屋兵衛杉山太夫杉山順庵、目木大庄屋であった福島三郎左衛門任命した特筆すべきは、代官所出資皆無。すべて民間出資のみで賄われた点である。それほど、正紀による民衆への教育教育必要性が行届いていたのである民間出資学問所当時先進的であった1797年寛政9年)、それらが評価され幕府より黄金3枚時服2領が褒賞として贈られている。 典学館教師は、代官御雇「御教役」真野民次が兼任。後に、儒者医者菊池正因引き継いでいる。その教育は、武士および農商層の子弟を対象学問限らず行儀やしつけにも及んだと言う経書史書詩文集のほか、孝経論語孟子大学中庸などを教科書にしていた。 また、正紀の自著久世条教」も教科書になっていた。内容下記のとおり。 国を支え農業養蚕精を出す 親に孝行兄弟仲良くする 相手言い分聞き、すぐ訴訟しない 無駄を省き社会豊かにする 年貢等の税はきちんと納める 間引き絶対にしない お互いに尊敬し礼儀正しくする。

※この「久世の典学館と「久世条教」」の解説は、「早川正紀」の解説の一部です。
「久世の典学館と「久世条教」」を含む「早川正紀」の記事については、「早川正紀」の概要を参照ください。

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