主馬とその家族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 01:08 UTC 版)
「風の市兵衛シリーズの登場人物」の記事における「主馬とその家族」の解説
戸倉 主馬(とくら しゅめ)/ 藪下 三十郎(やぶした さんじゅうろう) 元は陸奥岩海領南城家に仕える平士で蔵方助役。だったが、登茂田に誘われて、特産品の鉄器の売買で帳簿を改竄して利益を得る不正を行なった。事が露見しそうになると、登茂田の命ですべての罪を一身に背負い脱藩した。江戸に流れ着いた後、岡場所「藪下」の用心棒を務めるようになり、藪下三十郎と名乗っている。料理がうまい。 藩を出て11年後、息子が百日咳にかかったため、登茂田から治療費を恵んでもらうために南城家上屋敷を訪れた。10両を用立てる見返りに村山景助殺害を命じられ、一旦了承するも実際の襲撃時には斬ることをためらってしまった。 岡場所「麦飯」と「藪下」の争いを仲裁しに来た市兵衛とは、剣を交えるが歯が立たず、市兵衛を気に入って両岡場所の手打ちが済んだ後に自宅に招いた。その後、国元に残してきた家族を登茂田が約束通り援助せず、皆塗炭の苦しみの末に亡くなったことを知る。そして、市兵衛にこれまでの詳細を書いた書状を残し、登茂田の元に乗り込んだが、竹川源四郎に殺されてしまう。 お津奈(おつな) 三十郎の妻。彼の過去を知らぬまま結婚した。昼間は近所の隠居夫婦に息子を預け、十番馬場町の旅籠で飯炊きと端女をしている。 父は仙台馬を売りに来た馬喰で、仙台に帰ってから音沙汰がなく、母は麻布新網町の小料理屋を営んでいたが、お津奈が13歳の時に病に倒れ、5年後に亡くなった。 死んだ母と三十郎に仕込まれて料理の腕が良く、三十郎の死後、市兵衛が三十郎の書状を南城家に売りつけて得た100両を元手に、麻布新網町に小料理屋「三十郎」を開き繁盛させている。 文平(ぶんぺい) 三十郎とお津奈の一人息子。乳児。三十郎が41歳の時に生まれた。乳が足りないせいかあまりからだが丈夫ではない。 戸倉 博助(とくら ひろすけ) 主馬の父。隠居前は徒士組の山方を務め、主馬が蔵方に就いた際には出世の見込みがあると喜んだ。主馬が脱藩すると、家が廃絶となり商家の古い物置に転居した。時右衛門が援助を申し出たがそれを断る。そして、6年前に病死した。 博助の妻 主馬の母。夫が亡くなってから認知症の症状が出て徘徊するようになり、その後寝たきりとなる。そして、夫が亡くなって1年半後、貢と心中した。 戸倉 貢(とくら みつぐ) 主馬の妹。兄が脱藩した後、材木問屋で端女奉公をして家計を支えた。父の死後改めて時右衛門が援助を申し出たがそれを断る。母が寝たきりになると介護のために働くことができなくなり、やがて母を脇差しで刺した後、自らの喉を突いて自害した。
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