主馬神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 06:11 UTC 版)
「荒雄川神社 (大崎市鳴子温泉鬼首)」の記事における「主馬神社」の解説
荒雄川神社拝殿南側に境内社である主馬神社が鎮座している。祭神として明治天皇の御料馬である金華山号を祀る。 金華山号は明治2年(1869年)鬼首の生まれで、幼名は「起漲(きちょう)」、栗毛のオス馬だった。明治9年(1876年)の明治天皇の奥羽地方巡幸の際、天皇の目に止まり御料馬に召し上げられ「金華山号」に改名した。 金華山号は、境内の説明によると、 近衛秋季機動演習の天覧の際に、他の供奉の馬が砲声に恐れ慄き逃げ出そうとしている中、金華山号だけが泰然として何事もなかったかのように歩いた。 突然の雷雨で板橋が浮くようなことがあっても、金華山号だけが前足で安全を確認しながら静々と橋を渡った。 明治天皇が騎乗するときは前脚をひざまづき、体を低くかまえた。 明治天皇の観兵の折、急に大雨が降り足元の土が流失しようとも三本足にて体を支え、少しも動くことがなかった。 など、いかに優れた馬であったかを伝える逸話が残されている。 明治28年(1895年)に金華山号は老衰で死去した。金華山号を特に寵愛した明治天皇の意向により剥製にされ、聖徳記念絵画館に安置されている。 明治24年(1891年)に当時の社掌であった高橋盛喜が発起人となり、皇居外苑の楠木正成像の馬の部分を制作した初代後藤貞行が金華山号の木像制作の依頼を受け、明治34年(1901年)にケヤキ材を用いて等身大の金華山号の木像を鬼首温泉で制作した。その年の東北特別大演習の際に天覧に供され、その後、荒雄川神社奥宮の境内社として建てられた主馬神社の神体として納められた。神体である金華山号の木像は、毎年9月9日・10日に行われる例祭の時だけ開帳される。平時も拝殿のガラス扉越しに見ることができ、扉の横のボタンを押せば上記の音声説明とともに拝殿のライトがつく。 主馬神社拝殿 金華山号の木像
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