主義・思想の激動期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 21:09 UTC 版)
科学的な野生動物管理がアメリカで初めて提唱された1930年代から数十年間、世界中ではなおも乱獲される野生動物もいれば、手厚く保護される野生動物も存在した。さらに、持続的な野生動物の利用を前提とした「保全」や「管理」と、原生自然に生きる野生動物を人間の利用から守る「保護」や「保存」が対立するようになり始めた。自然保護団体シエラクラブの創設者であるジョン・ミューアは精神主義や神秘主義のもと野生動物の「保存」を推し進めた。ときに情緒的で感情論に終始する場合もある「保護」を避ける動きもあり、1948年には当時の国際自然保護連合は組織名をIUPN(International Union for Protection of Nature)からIUCN(International Union for Conservation of Nature and Natural Resources)へ改称した。一方で、野生動物管理の試みは必ずしも成功しているというわけではなかった。相変わらず狩猟動物だけを対象とした管理が横行し、狩猟動物を捕食する動物や人間に害を与える動物、狩猟動物として魅力の高い動物を優先的に殺した結果、シカ類などの一部の野生動物は個体数を爆発的に増やし、アメリカバイソンやオオカミなどは絶滅が危惧されるまでに数を減らした。こうした狩猟者の利益しか考えていない未成熟な野生動物管理に対して、人間中心的な功利主義と捉えて批判する声が上がった。野生動物管理学の提唱者であるレオポルドでさえも1949年に出版した晩年の著書『Sand County Almanac』にて「野生動物の数を人間が管理できるという傲慢な考え方は間違っていた」と述べ、この時点での野生動物管理の失敗を象徴するものとなった。しかし、レオポルドは野生動物管理を完全に否定したわけでなく、共同体として敬意を払う土地倫理の思想を生み出し、倫理観をともなった新たな管理を期待したのであった。1970年代には提唱されたディープエコロジーでは人間の利益に縛られた野生動物管理はシャローエコロジーとされ、改善が強く求められた。レオポルドが提起した倫理観は野生動物管理に欠けていた要素のひとつであり、この思想はのちに環境倫理学へと発展し、野生動物管理を含む自然保護活動に大きな影響を与えた。また、この倫理は自然の権利、さらには動物の権利という新しい思想を生み出すこととなり、野生動物管理と激しく対立することになった。動物の権利主義者は野生動物に苦痛を与えたり、殺したり、捕獲・管理する行為を一切認めず、動物の解放を目指してより過激な行動をとるものも現れた。例として、1970年~1980年代に続々設立された動物解放戦線やアースファースト!(英語版)、シーシェパードといった組織は野生動物管理に関係する組織や人間も攻撃対象とし、破壊活動や暴力的手段をとった。こうした野生動物管理への反対活動は現代でも続いている。
※この「主義・思想の激動期」の解説は、「野生動物管理」の解説の一部です。
「主義・思想の激動期」を含む「野生動物管理」の記事については、「野生動物管理」の概要を参照ください。
- 主義思想の激動期のページへのリンク