主人公と視点人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:45 UTC 版)
詳細は「語り手」、「物語論#人称」、および「人称#文学における人称」を参照 小説などの文学作品では、一人称における主体、つまり文章中の「私」(または「俺」「僕」など)となる語り手の視点から物語が描かれることもある。そうした一人称小説は、語り手自身が主人公を務める自伝的な体裁の作品であることが多い。なお一人称の語り手の中には、語り手自身が読者のミスリードを試みる信頼できない語り手である者もいる。一人称の語り手は、自らの体験を個人の立場から主観的に語るという体裁を取るため、多かれ少なかれ信頼できない語り手であるとも言える。 その一方、一人称の現れる小説であっても、それが傍観者や観察者であって、問題を解決する者が別個の人物に設定されているなど、語り手と主人公が別にいる場合がある。例えば推理小説においては読者の興味を結末まで持続させるため、しばしば事件を解決する探偵役と語り手を異なる登場人物に振り分け、物語の核心となるトリックを読者に対して伏せたまま、先にトリックを見破った探偵が真実に近づいていく様子を、トリックを見破れない語り手の視点から描くという手法が用いられる。また作家自身を主人公にした私小説のような作品においても、主人公とは別の語り手役を設けることで、実質的には三人称小説のような外部視点の効果をもたらすことができる。 いわゆる三人称小説と呼ばれる作品、その中でも特に、語り手が登場人物の存在する虚構の世界とは別の世界にいるような「局外の語り手」である場合、通常は主人公と語り手は切り離された存在である。しかし一人称の語り手と局外の語り手との境界は、時として曖昧なこともある。時には局外の語り手による視点が登場人物の意識の世界へと入り込んでいく場合もあるし、中には局外の語り手として状況を外から見ていた人物が物語半ばで忽然として作品世界に立ち現れ、一人称の語り手として主要登場人物の中に割り込んでくるような作品もある。 まれに、一人称小説の語り手となる主人公が、物語の途中で命を落とすこともある(「#退場によって物語を終える」も参照)。古典的な作品ではしばしば、主人公の遺した手記や手紙を読むこととなった編集者や文通者といった他の語り手が登場し、物語がどのように決着したのかを語る手法が用いられる。作家によっては、語り手が体験する死の瞬間を描くためにさまざまな手法を凝らす場合もある。
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