中東欧・北欧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:19 UTC 版)
「世界金融危機 (2007年-2010年)」の記事における「中東欧・北欧」の解説
東欧諸国やバルト三国は世界金融危機の前からユーロ圏加盟を進めていたが、延期や後退が起きた。エストニアは2011年、ラトビアは2014年、リトアニアは2015年にユーロ圏に加盟した。エストニアは2010年時点の財政収支が黒字で公的債務残高が低く、リトアニアは2016年に財政収支が黒字となり、ラトビアは2016年に財政収支が均衡した。北欧5カ国とバルト三国で構成される北欧・バルト8カ国(英語版)は、危機に関する反省から、2010年8月17日にバルト北欧覚書(Nordic-Baltic Memorandum of Understanding)を発効し、中央銀行、金融監督当局、財務省のあいだで協力を促進することとなった。 アイスランドはヨハンナ・シグルザルドッティル政権による社会保障維持、IMFの緊縮財政案の拒否、所得格差是正などの政策で回復に向かった。金融機関の起訴も行われ、アイスセーブを提供したランズバンキ銀行などの幹部は有罪となった。2012年にGDP成長率が3%となり、格付けでも危機対応が評価されて上昇し、所得格差は他の北欧諸国と同レベルになった。また、国家危機の再発を防ぐためにインターネットの国民投票をもとに憲法を改正した。2012年に改正された新憲法には、政治家と銀行の癒着の防止が含まれている。
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