中東航空戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:48 UTC 版)
詳細は「アングロ・イラク戦争」を参照 イタリア空軍は第二次世界大戦に対するイタリア王国の関与の始まりから終わりまで、中東への枢軸軍の航空攻撃に深く関係していた。イギリスの影響下にあったイラクによるアングロ・イラク戦争の間、イタリア空軍はドイツ空軍と共に「イラク航空団」を創設、イラク軍の指揮下に入ってヴィシーフランス領レバノンを根拠地として英空軍と交戦した。1940年7月にはイタリア空軍が英領パレスチナのハイファ爆撃に成功し、石油パイプラインを破壊した。米タイム誌でも大きく報じられた同攻撃の後、続いて10月中旬にはファシスト党の幹部でもあったエットーレ・ムーティらが参加した長距離爆撃機隊がリビアを出撃、バーレーンの石油地帯の破壊に成功した。 こうした枢軸空軍による水面下での支援は最終的にイギリス軍をシリア・レバノン侵攻へと踏み切らせた。
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