世界2階級制覇と2度目の五輪
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「岡田弘隆」の記事における「世界2階級制覇と2度目の五輪」の解説
大学卒業後はマルナカに所属し、自身の練習を根本から見つめ直した。トレーニング理論や生理学を学び、当時あまり知られていなかったPNFにも取り組んだ。また、栄養バランスを重視した摂食を採り入れると、自然に体重が増えていき、階級を変更する決断をした。 1990年には、階級を1つあげた86kg級で4月の講道館杯・7月の全日本選抜体重別選手権を立て続けに制すと、8月のグッドウィルゲームズ、9月の北京アジア大会等の国際大会でも優勝し、同階級の第一人者に躍り出た。翌91年には全日本選抜体重別選手権で連覇を果たし、世界選手権(バルセロナ)代表に選ばれ、決勝でアメリカ代表のジョセフ・ワナンを破って優勝。世界選手権で、無差別級を含まない2階級制覇は史上初であった。また、この頃には既に照準を1992年バルセロナオリンピックと定めていた岡田は、1992年の講道館杯で優勝し、全日本選抜体重別選手権では3連覇を達成すると、前大会に引き続き五輪代表に選出される。 前大会の轍を踏まえ、万全のコンディションに、頭を剃り上げ気合を入れてバルセロナ入りした岡田だが、大会2日前の練習で、太ももを負傷する。迎えた試合当日、岡田は初戦・2回戦を難なく突破した。3回戦の強豪・ニコラス・ギル(カナダ)戦では、試合前半に岡田の巴投が一閃、ギルの体が鮮やかに宙を舞い、副審の1人は岡田の一本勝ちとジェスチャーしたものの、余りに勢いよく回り過ぎたため主審ともう1人の副審は「有効」と判定するという不運も重なった。後半残り30秒で、四つん這いになった所をひっくり返されて「技あり」を取られ、冷静さを失った。足の怪我の悪化を心配して試合前のウォーミングアップを極力控えた のも災いし、本来の力を発揮できず、結局そのまま優勢負けとなった。その後、敗者復活戦を勝ち上がり銅メダルを獲得するも、試合後は自責の念にかられたという。
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