世界顧問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 02:47 UTC 版)
ラザードは東京がオフショア市場となってから日本市場に深くコミットしている。1987年にアセット・マネジメント業務へ進出した。1989年には澄田智を迎えて、ファイナンシャル・アドバイザリー業務を開始した。この年からアリエル(Arielle Marie Mallard)がラザードのアナリストになり、1991年にギー・ド・ロチルドの息子エドゥアールと結婚、そのまま寿退社した(1997年までケア機構フランス支部理事、2011年までGBL傘下のイメリーズ重役、2012年まで国際ケア機構副総裁)。2000年、ラザードは各種投資部門を統合してユーラゼオ(Eurazeo)を立ち上げた。ここで運用することになった資産は1960年代からのものであり、クライアントであるダノン・ピアソン・ゼネラリ保険等の長期保有株をふくんだ。ユーラゼオの母体は1881年設立の「ガスと水道(Gaz et Eaux)」であるが、1945年にガス事業は国有化された。1977年にIDI(Institut de Développement Industriel)と、MG(La Mutuelle Générale)・パリバ・預金供託金庫・エルフアキテーヌをふくむコンソーシアムに買収され、8700万フラン相当の資産を運用する会社となった。1985年までにラザードは会社の支配権をめぐりパリ保険連合(Union des assurances de Paris)に競り勝ち、2000年に完全支配した。2002年からブルース・ワッサースタインがCEOとなった。彼は戦前のユダヤ系ポーランド人を父とし、ファースト・ボストン(現クレディ・スイス)とドレスナー・クラインワートでキャリアを積んだ。2002年までにユーラゼオがゼネラリ保険株を売り、翌年ユーテルサット株を取得した。2006年ユーラゼオがヨーロッパカーを買収した。近年はモンクレールやデシグアルに投資をしている。前後して2007年、ラザードはオーストラリアの巨大な投資顧問会社を合併した(Lazard Carnegie Wylie)。ラザードは2010年に破綻したギリシャ政府のアドバイザーを務めた。2015年、クラフトフーズとハインツの合併をはじめとする大型案件でもアドバイザーを務めた。
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