不良性感度の再投入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 21:17 UTC 版)
「暴力教室 (1976年の映画)」の記事における「不良性感度の再投入」の解説
1975年夏の『トラック野郎・御意見無用』、1976年の正月映画『トラック野郎・爆走一番星』が連続して大当たりを取ったことから、関西の東映映画館主の「寅さんのような、明るく楽しい映画が欲しい」という要望に応え、岡田東映社長は1976年の初めに「『トラック野郎』の記録的ヒットは、従来の東映イコールやくざとポルノというイメージを破った。ここ十数年、東映の作品に見向きもしなかった家族づれや若い女性客が戻って来た。不況時には明るくカラッとした笑いあり涙ありの娯楽映画がヒットする」と説明し、女性・子供・家族連れの映画館への吸収を狙い、"健全喜劇路線"を敷くと発表した。この後、全興連会長の山田敏郎に無理やりラグビー映画を作らされることになったため、「アメリカ映画で流行ったものは、必ず何ヶ月後に日本で流行る」という持論の岡田が、『ロンゲスト・ヤード』や『バッド・ニュース・ベアーズ』など、アメリカでのスポーツ映画ブームを見越し "健全喜劇・スポーツ映画路線"に変更した。同時期に岡田が敷いた路線が、近年評価を高める"東映メカニック路線" "東映カーアクション路線" "東映暴走路線"である。「猫の目のように企画が変わる東映のゲリラ商法」と笑われたが、この方針のもと連打した『愉快な極道』『テキヤの石松』『キンキンのルンペン大将』『ラグビー野郎』『狂った野獣』『お祭り野郎 魚河岸の兄弟分』が全部コケ、東映上半期は「トラック野郎シリーズ」と「東映まんがまつり」以外は当たらない状況に陥り、岡田が腹を立て、"不良性感度"の高い東映本来のアクション路線プラスアルファへ軌道修正が打ち出された。活劇復帰第一弾として本作『暴力教室』と『暴走の季節』に、自主制作買い上げの『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』を加えた三本立て興行を手始めに、東映は下半期に勝負を賭けることになった。"スピード"と"暴走"はこの時代のキーワードだった。
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