万歳平城とは? わかりやすく解説

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万歳平城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 08:48 UTC 版)

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万歳平城
奈良県
別名 万歳城
城郭構造 平城
築城主 万歳氏[1]
築城年 室町時代[1]
廃城年 天正8年(1580年
位置 北緯34度31分4秒 東経135度43分38.6秒 / 北緯34.51778度 東経135.727389度 / 34.51778; 135.727389座標: 北緯34度31分4秒 東経135度43分38.6秒 / 北緯34.51778度 東経135.727389度 / 34.51778; 135.727389
地図
万歳平城
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万歳平城(まんざいへいじょう[1])は、奈良県大和高田市(旧・大和国葛下郡[2])にあった日本の城平城[1]万歳城(まんざいじょう[3])とも呼ばれる[1][3]

歴史

万歳平城は、大和国葛下郡に勢力を築いた万歳氏の城郭である[1]。万歳氏は平安時代後期から平田荘(葛下郡・広瀬郡[4])の荘官を務めた氏族で[1]室町時代には平田八荘官の1つに数えられた[4]。万歳平城はその居館が発達したものとされている[1]万歳山城葛城市)も万歳氏の城郭とみられるが、平安時代以来の万歳氏の所領にある万歳平城の方が万歳氏の本城だったと考えられる[5]

万歳氏は応仁の乱の際、越智方に付いた[1][6]文明7年(1475年)5月、布施氏により万歳散郷が焼かれ、6月には筒井順尊が合力した布施方が万歳城を攻めた[7]。城方は打って出てこれを破り、筒井順尊は河内国に落ち延びることとなった[1][7]

永正4年(1507年)10月に赤沢長経が大和に侵攻して国中(奈良盆地)を制圧すると、筒井氏ら大和の国衆は国中を退いた後、11月に周辺の山々から国中へと攻め入った[1][8]。その際、筒井氏や十市氏の軍勢は高田城と万歳城を拠点とした[1][8]。この戦いで大和国衆らは敗れ、大和は「一国悉以焼払」われたという(『多聞院日記』)[8]

永禄11年(1568年)10月より、将軍足利義昭織田信長の援軍を得た松永久秀久通父子が敵対する筒井方国人を攻め始める[9]。同年12月に万歳郷が焼かれ[10]、翌永禄12年(1569年)4月、松永父子により万歳城が攻められた[11]

天正8年(1580年)8月、織田信長から筒井順慶に対し、郡山城を除く大和の城の破却が命じられた[12]。万歳平城はこの時破却されたと考えられる[13]

所在地と構造

万歳平城は、現在の奈良県大和高田市大字市場にあったとされる[1][13]。その具体的な位置について『日本城郭大系』は春日神社境内地とその西側の土地としているが[1]、野崎清孝はその東に隣接する、名倉北池を含む一帯(市場および池田)としている[13][14][注釈 1]。『角川日本地名大辞典』も同様に、名倉北池一帯に所在したとしている[15]。現在の奈良県の埋蔵文化財包蔵地地図(遺跡地図)では、名倉北池およびその西側縁部を覆うように包蔵地範囲が設定されている。遺跡の登録IDは「13B-0093」[16]

『大和高田市史』掲載の古図[17]によると、東西約50メートル、南北約75メートルの長方形の主郭があり、その周囲を幅の広いに囲まれていた[1]。『日本城郭大系』は、主郭の西に出郭があり、出郭の西と南に二重の堀があったとしている[1][注釈 2]。城の全体は条里地割に従った方1町で、方形居館が城郭化した典型的な例とされる[15]城下には市場が設けられ、現在の地名「市場」につながったとされている[1][17]

脚注

注釈

  1. ^ 野崎は、1880年明治13年)の地籍図に小城山や城堀、二階下堀などの城館に関わる字名が記されていることを指摘し、それらの字があった場所に名倉北池が築造されたとしている[14]
  2. ^ 野崎清孝は同様の図(明治30年池田区有地図)を南北逆に見ているため、『日本城郭大系』が出郭とした場所は主郭の東となり、主郭の東端および出郭とその周辺に名倉北池が築かれたことになる[13][14]。『角川日本地名大辞典』は『日本城郭大系』同様、東に主郭、西に小郭があったとし、現存する微高地の藪を小郭の跡とする[15]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 平井聖; 村井益男; 村田修三 編『日本城郭大系 第10巻 三重・奈良・和歌山』新人物往来社、1980年、396–397頁。全国書誌番号:80036837 
  2. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, pp. 1036–1037.
  3. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, p. 1036.
  4. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, p. 947.
  5. ^ 朝倉 1993, p. 479.
  6. ^ 朝倉 1993, pp. 480–481.
  7. ^ a b 朝倉 1993, p. 137.
  8. ^ a b c 朝倉 1993, pp. 178–182.
  9. ^ 天野忠幸『松永久秀と下剋上 室町の身分秩序を覆す』平凡社〈中世から近世へ〉、2018年、226–227頁。 ISBN 978-4-582-47739-9 
  10. ^ 朝倉 1993, p. 233.
  11. ^ 朝倉 1993, p. 234.
  12. ^ 朝倉 1993, pp. 257–258.
  13. ^ a b c d 佐藤良二 著「大和高田市 万歳城跡隣接地 発掘調査報告」、奈良県立橿原考古学研究所 編『奈良県遺跡調査概報 1984年度(第2分冊)』奈良県立橿原考古学研究所、1985年、8頁。全国書誌番号: 87015745 
  14. ^ a b c 野崎清孝 著「大和の城館」、藤岡謙二郎 編『講座考古地理学 第3巻 歴史的都市』学生社、1985年、43頁。全国書誌番号: 86011446 
  15. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, p. 1037.
  16. ^ 奈良県文化財保存課 記念物・埋蔵文化財係. “奈良県遺跡地図Web”. 奈良県. 2025年4月20日閲覧。
  17. ^ a b 堀江彦三郎 著「中世の高田」、大和高田市史編集委員会 編『大和高田市史』大和高田市役所、1958年、169–170頁。全国書誌番号: 65006447 

参考文献

外部リンク




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