七ヶ浜ニュータウン汐見台
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「七ヶ浜町」の記事における「七ヶ浜ニュータウン汐見台」の解説
1972年に七ヶ浜町が策定した長期基本構想ではニュータウン造成計画が主軸と据えられた。そして、町は造成にあたって民間企業との共同開発方式をとる決断に至り、文化振興や町づくりの面で前向きに取り組んでいた西武流通グループ傘下の西武都市開発(のちの西洋環境開発)がパートナー企業として選定された。しかし、仙台圏における宅地供給は長期的には過剰とみられていたほか、開発地の市街化区域への編入も未定であり、さらに町が仙台市から遥か遠方に位置するとみなされていたことなどから開発の推進は難渋を極めた。 こうした事態を受け、西武都市開発は従来の宅地開発にはない新たな構想として、オランダの都市開発に採用されていたボンエルフを導入すること、さらに歩行者専用の緑道を設けること、加えて開発地区をなだらかな南面傾斜として植栽し、区域全体を公園とするなどのプランを提示した。これによって、1977年7月には市街化区域への編入も決定した。だがボンエルフ導入は既存の法体系と矛盾する為、翌年春には開発申請が止められた。しかしながら、西武都市開発担当者や当時の赤間今雄町長が、宮城県や建設省に足繁く出向きボンエルフの必要性を説いたことが奏功し、1978年12月には開発許可が下り、1979年5月着工。1980年9月には第一期販売が開始され、即日完売した。 この七ヶ浜ニュータウン汐見台のボンエルフ計画は、1983年4月には国際交通安全学会賞を受賞したほか、その後の国内のニュータウン計画でコミュニティ道路が採用される端緒となった。
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