ヴィージェイからフィリップスへ移籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:07 UTC 版)
「フォー・シーズンズ」の記事における「ヴィージェイからフィリップスへ移籍」の解説
フォー・シーズンズの成功にも拘わらず、ヴィージェイ・レコードは経済危機に陥っていた。ヴィージェイはアメリカ国内でビートルズの初期のシングルをリリースしていた。ビートルズの人気が拡大すると1ヶ月に200万枚以上を出荷しなくてはならず手に負えなくなっていた。大量生産への過大な要求に資金繰りが悪化し、1963年8月、トランス=グローバル(EMIによる製品卸会社)は印税未払いでヴィージェイとの契約を解除し、ヴィージェイは経営の継続が困難となった。ヴィージェイは権利を失ったにもかかわらず、ビートルズのあるアルバムを形態を変えて製造し続けた。1年以上にわたる法的交渉の結果、1964年10月15日、キャピトル・レコードはヴィージェイに製造をやめさせることができた。ビートルズとキャピトル・レコードを巻き込んだ、ヴィージェイ・レコード内での騒動の最中、ヴィージェイとフォー・シーズンズの間でも印税未払いの問題が裁判に発展した。1964年1月、何枚かのアルバムで成功をおさめた後、ヴィージェイからの未払いにより当時マーキュリー・レコードの一部であったフィリップス・レコードに移籍した。1965年の調停で、ヴィージェイは在籍中にレコーディングしたものの出版権は保持することとなった。ヴィージェイはこの権利を翌年も行使した。フォー・シーズンズはこのレーベル最後のアルバムとして、ライヴ収録であると偽造したLPを発表する義務を負った。1966年、ヴィージェイは破産を宣言し、ヴィージェイにあったフォー・シーズンズの楽曲の権利はフォー・シーズンズに帰属し、楽曲はフィリップスより再発売することとなった。 1964年、レコード会社移籍、およびブリティッシュ・インヴェイジョンやビートルマニアはフォー・シーズンズの人気に影響を与えなかった。ドゥーワップ・スタイルから脱却し、スケールの大きな曲調と複雑なコーラスが絡み合う、いわゆる日本で言うソフト・ロック的なアプローチを始め、この路線でも、「悲しき朝やけ」、「悲しきラグ・ドール(Rag Doll)」(全米No.1)、「バイ・バイ・ベビー・グッドバイ (Bye, Bye, Baby (Baby, Goodbye))」などをヒットさせる。実際、数年間Hot 100でビートルズが首位を独占していた頃、他に第1位となれたのはフォー・シーズンズだけであった。1964年3月21日、『悲しき朝やけ(Dawn (Go Away)) 』(レコーディングのみアトランティック・レコードのスタジオを使用)は第1位をキープし続けた(ただし2週間後にはビートルズが第1位から第5位までを独占した)。ヴィージェイは片方はビートルズ、もう片方はフォー・シーズンズの『ビートルズvsフォー・シーズンズ: インターナショナル・バトル・オブ・ザ・センチュリー!』という2枚組アルバムを発表した。その後これらを分け、それぞれのレーベルから『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』、『Golden Hits of the 4 Seasons』として再発売された。現在この2枚組アルバムはコレクターズ・アイテムとなっている。
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