ヴィオラ奏者活動
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5歳よりヴァイオリンの最初の手ほどきを受ける。その後、シスター・メリー・ポーロ、兎束達雄、古武、山田宗二郎、東儀祐二、鷲見三郎にヴァイオリンを師事。全日本学生音楽コンクール西日本地区の小学校、中学校の部門で入賞。桐朋女子高等学校音楽科で江藤俊哉、斎藤秀雄に、桐朋学園大学音楽学部で鷲見三郎に師事。1966年、日本音楽コンクールヴァイオリン部門で入賞。 1968年、英国に渡り、イフラ・ニーマン、ウィリアム・プリース、サーストン・ダートに学び、ギルドホール音楽演劇学校を卒業。この間BBCベートーヴェン・室内楽コンクール、カール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクールに入賞。英国領事館音楽奨学金を日本人として初めて受賞。2年間ダートの指揮する“古楽器スタイル・アンサンブル”のリーダーを務める。 1970年には米国インディアナ大学でウィリアム・プリムローズ、ルッジェーロ・リッチ、ジョーゼフ・ギンゴールド、ヤーノシュ・シュターカー、メナヘム・プレスラーに師事。インディアナ大学コンクールではヴァイオリン、ヴィオラ両部門で同時優勝を果たした。当大学で2年間の研修の後、客員講師としてヴァイオリンとヴィオラの指導をする。 1972年、ルドルフ・ゼルキンが音楽監督を務める「マルボロ音楽祭」に、プリムローズの推薦でヴィオリストとして参加。同音楽祭には1973年・1975年・1976年にも招待され、“Music from Marlboro”のメンバーとして5回の全米演奏旅行に参加している。この後、多くの国際音楽祭に招待され、著名な音楽家とも共演する。 1973年、カリフォルニア大学サンタクルーズ校助教授に就任、翌年、全米の音楽登竜門であるヤング・コンサート・アーティスト賞(YCA)を受賞。この受賞で5年間、ヤング・コンサート・マネージメントのメンバーとして室内楽・ソロ・リサイタル活動に専念。 1979年に、カルロ・マリア・ジュリーニが率いるロサンジェルス・フィルハーモニックの首席ヴィオラ奏者に任命される。アメリカのトップメジャー・オーケストラ史において、東洋人として初となった首席器楽奏者契約は、その後13年間に渡って継続された。同時期に指揮者としての活動も開始するが、ヴィオリスト、室内楽奏者としての活動も引き続き行っている。1990年にはアンドレ・プレヴィンらと共に、モーツァルトの弦楽四重奏曲のレコーディングをRCAで行った。現在、「ザ・チェンバーズ・プレイヤーズ」(The Chamber Players) の一員でもある。
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