ヴァージニア_(戦艦)とは? わかりやすく解説

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バージニア (戦艦)

(ヴァージニア_(戦艦) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 14:05 UTC 版)

艦歴
発注:
起工: 1902年5月21日
進水: 1904年4月6日
就役: 1906年5月7日
退役: 1920年8月13日
その後: 砲撃目標として海没処分
性能諸元
排水量: 14,980 トン
全長: 441.3 ft (134.5 m)
全幅: 76.3 ft (23.4 m)
吃水: 23.8 ft (7.3 m)
機関:
最大速: 19ノット
航続距離:
兵員: 士官、兵員916名
兵装: 12インチ砲4門
8インチ砲8門
6インチ砲12門
1ポンド砲24門
30口径機銃4門
21インチ魚雷発射管4門
航空機:
モットー:

バージニア(USS Virginia, BB-13)は、アメリカ海軍戦艦バージニア級戦艦の1番艦。艦名はバージニア州に因む。その名を持つ艦としては5隻目。

艦歴

バージニアは1902年5月21日にバージニア州ニューポート・ニューズニューポート・ニューズ造船所で起工し、1904年4月6日にゲイ・モンタギュー(バージニア州知事の娘)によって命名、進水、1906年5月7日に初代艦長シートン・シュレーダー大佐の指揮下就役した。

艤装完了後バージニアはリンヘヴン湾、そしてロングアイランド沖に整調巡航を行った後8月9日にロードアイランド州ブラッドフォードで石炭の補給を行う。メイン州ロックランド沖でのスクリュー標準化公試の後、バージニアはロングアイランド湾で訓練を行い、その後9月2日から4日までセオドア・ルーズベルト大統領の自宅があるオイスター・ベイ沖に停泊し、大統領の観閲を受けた。

その後整調巡航を継続し、ブラッドフォードで再び石炭を補給する。1906年8月、キューバで反乱が発生する。ピナール・デル・リオ州で発生した暴動は秋には規模が拡大し、トーマス・エストラダ・パルマ大統領はアメリカ合衆国に介入を要請した。9月中旬までに8,000名のキューバ警察は暴動を鎮圧することができず、バージニアは事態の改善のため1906年9月15日にニューポートを出航する。21日にハバナに到着、都市防衛の準備を行い10月18日まで同水域で待機した。

バージニアはノーフォークに到着すると、フレデリック・ファンストン将軍を上陸させ、石炭を補給した後トンプキンズヴィルへ向かう。その後ニューヨーク海軍工廠乾ドック入りし石炭の補給と艦底部の塗装を行い、続いて1906年11月3日から1907年2月18日までノーフォーク海軍造船所で修理、変更を行う。2月19日から3月23日の間にニューヨーク海軍工廠で射撃管制装置を設置した後キューバ水域に向かい、3月28日にグアンタナモ湾で艦隊と合流する。

キューバ水域では射撃訓練を行い、その後4月10日にジェームズタウン300周年記念式典参加のためハンプトン・ローズに向かう。4月15日から5月15日まで一ヶ月間ハンプトン・ローズに留まり、6月前半にノーフォーク海軍造船所で修理を行う。その後6月7日から13日の間にハンプトン・ローズでルーズベルト大統領による観閲を受ける。6月中旬から7月中旬までコッド岬沖で射撃訓練を行い、続いてニューポート、ノース・リバー、マサチューセッツ州プロヴィンスタウンを訪れた後コッド岬で昼間、夜間戦闘訓練を行う。

秋には南方に戻り、9月24日から11月24日までノーフォーク海軍工廠で2か月の修理および変更を受けた後、11月にニューヨーク海軍工廠でさらに修理を受ける。その後再び南方に向かい、12月6日にハンプトン・ローズに到着した。

バージニアはグレート・ホワイト・フリートの世界巡航へ参加するための準備を行い、1907年12月17日に出航する。巡航はワシントンの誕生日である1909年2月22日に完了した。巡航の間に艦隊は南アメリカ沿岸の港や、アメリカ合衆国の西海岸、ハワイフィリピン日本中国セイロン島を訪問した。更にバージニアの部隊はベイルート経由でトルコイズミルを訪問した。艦隊は出港時と帰港時それぞれにルーズベルト大統領の観閲を受け、アメリカ海軍の威容を世界に知らしめた。

世界巡航後バージニアは1909年2月26日から6月26日までノーフォーク海軍工廠で4か月の修理および変更を行う。翌年はバージニア岬沖の訓練水域からロードアイランド州ニューポートまでの範囲で作戦活動に従事した。この間に海軍民兵を乗艦させ、ロックポート及びプロヴィンスタウンへの短期巡航を行う。

1909年11月15日から12月7日および12月8日から12月29日にバージニアはフランスブレストイギリスのグレーヴズエンドを訪れた。その後グアンタナモ湾で大西洋艦隊に加わり演習を行う。バージニアは1910年1月13日から3月13日までの2ヶ月間をキューバ水域での作戦活動に費やし、続いて南部訓練海域で戦闘訓練を行った。

4月11日にはジョージア(USS Georgia, BB-15)と共にハンプトン・ローズを出航し、二日後にボストン海軍工廠に到着、5月24日まで修理を行った後プロヴィンスタウンへ向かう。続く5日間を給炭艦ヴェスタル(USS Vestal, AR-4)と共に海上燃料補給訓練で費やし、その後水雷訓練を行う。バージニアは6月18日にボストン海軍工廠へ帰還した。

関連項目

外部リンク


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