ロシア連邦運輸通信省
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1991年のソビエト連邦の崩壊にともない、ソ連運輸通信省を承継して1992年1月20日、ロシア連邦運輸通信省(ロシア語版)(МПС Российской Федерации, Министерство путей сообщения Российской Федерации)が発足した。 1998年に策定した連邦鉄道事業の再編を盛り込んだ「連邦鉄道構造改革の概念」(Концепция структурной реформы федерального железнодорожного транспорта)に基づき、連邦鉄道事業は2003年、ロシア鉄道公開株式会社に移管。運輸通信省は2004年3月9日、大統領令314号「連邦政府執行機関のシステム及び組織」(О системе и структуре федеральных органов исполнительной власти)に基づき廃止され、交通監督行政はロシア連邦交通省(Министерство транспорта Российской Федерации)および交通省の連邦交通監督庁(Федеральная служба по надзору в сфере транспорта)と連邦鉄道交通庁(Федеральное агентство железнодорожного транспорта)に移管された。
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ロシア連邦運輸通信省(サハリン鉄道局)
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「国鉄キハ58系気動車」の記事における「ロシア連邦運輸通信省(サハリン鉄道局)」の解説
「サハリンの鉄道」も参照 ソ連運輸通信省極東鉄道局サハリン支局では、日本製А1形気動車(1963年導入)置換え用として日商岩井を介し1985年に導入した富士重工業製Д2系10編成40両を通勤旅客輸送用に投入し、ソ連崩壊後ロシア連邦運輸通信省サハリン鉄道局が承継したが、民主化後の経済混乱による高インフレーションと予算不足で部品が調達できず、Д2系の検修が困難な状態に陥った。 1992年8月にJR東日本などの鉄道技術者でつくる視察団がサハリン鉄道局を訪問し、1993年1月にはサハリン鉄道局の視察団が来日してJR東日本ならびにJR西日本の駅・旅行センター・工場などを視察したことが契機になり、同年10月にサハリン鉄道局とJR東日本が車両無償譲渡契約の調印を交わし、キハ58形29両が千葉県市原港からホルムスク港に輸出された。 現地到着後、ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ駅からユジノサハリンスク機関区に自力回送され、部品取り用車を除く17両を整備。К-1形(К-01 - )として1994年4月から通勤旅客列車での運用を開始した。 国内経済の回復にともない予算不足状態が解消し、Д2系が運用復帰した2000年に全車両が運用を終了した。1両が静態保存されている。
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