レッドブル在籍時代(2005年 - 2008年)
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「デビッド・クルサード」の記事における「レッドブル在籍時代(2005年 - 2008年)」の解説
2005年よりレッドブル・レーシングから参戦、上位チームのマクラーレンから新興チームへの移籍だったが、開幕から堅実な走りを見せ、3戦連続でポイントを獲得した。第7戦ヨーロッパGPでもペナルティがなければ表彰台という走りを見せた。 2006年第7戦モナコGPでは、自己ベストラップタイムが出走22人中19位ながらも、3位表彰台を獲得。レッドブル史上初、また自身にとっては2003年日本GP以来に表彰台に登った。表彰式ではチームがタイアップしていたスーパーマンの赤マント姿で登場するパフォーマンスを見せた。また、第2戦マレーシアGPではリカルド・パトレーゼが保持していた187戦の連続出走記録を塗り替えた。この記録は自身の引退レースとなる2008年最終戦ブラジルGPまで続き、239戦連続出走まで伸ばした。 2007年第10戦ヨーロッパGPでは予選20位から5位に、2008年第7戦カナダGPでは2年ぶりとなる3位表彰台を獲得した。 2008年7月3日、本年限りでのF1現役引退を発表。以後はレッドブル・レーシングのコンサルタントとしてチームに関わっていくことも表明した。引退レースとなった第18戦ブラジルGPでは、脊髄損傷を受けた人々をサポートするチャリティ団体「Wings for Life」の特別カラーリングを纏ったマシンが特別に用意され、全ドライバーが参加しての披露が行われた。しかし、決勝レースではスタート直後の1コーナーでニコ・ロズベルグに追突され、スピン状態に陥りながら中嶋一貴にフロントノーズを引っかけてストップし、リタイア。皮肉にも自身のデビューチームであるウィリアムズのドライバー2人とのアクシデントという形でその長いF1生活を終えた。自身はレース後、「キャリアをこのような形で終えるのは残念だ。最後は罰金対象であるドーナツターンを観客のためにするつもりだったが、それもできなかった。でも不満はない。素晴らしいキャリアを支えてくれた全員に感謝したい」とコメントし、清々しい笑顔を見せた。
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