レコードと映画撮影機器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:08 UTC 版)
「パテ (映画会社)」の記事における「レコードと映画撮影機器」の解説
1896年9月28日、シャルル・パテ(Charles Pathé)、エミール・パテ(Émile Pathé)、テオフィル・パテ(Théophile Pathé)、ジャック・パテ(Jacques Pathé)のパテ4兄弟がパリにフォノグラフ・レコード(蓄音機)を販売する「パテ兄弟商会」(Société Pathé Frères)を設立した。 兄弟のうちビジネスを主導したのはシャルル・パテで、家業の肉屋を飛び出し、弟のエミールとパリでビストロを成功させたのち、1894年にグラモフォンを扱う商店を開いたのを契機に、後にはパリ西郊シャトゥーにフォノグラフ工場を建てるほどに事業を拡大させた。さらにシャルルは新たな娯楽機器、特に当時登場したばかりの映画にも可能性を見出し、映画用の機材の製造もはじめるようになった。彼は事業拡大の資金を集めるために1897年に会社の株式を公開し社名を「Compagnie Générale des Établissements Pathé Frères Phonographes & Cinématographes」(C.G.P.C)と改め、パリ証券取引所(Paris Bourse)にも上場した。パテ兄弟社は20世紀の初頭には、レコード製作の大手であるとともに、世界でも最大手の映画撮影機器製造会社ともなった。 1902年にはリュミエール兄弟から映画関係の特許を取得し、スタジオ用カメラの改善や独自のフィルム・ストックの製造を開始した。パテ兄弟社は、先進技術を使った映画撮影機器、パリ東郊のヴァンセンヌに建設した現像工場、攻撃的なマーケティングと効率的な映画配給によって世界の映画市場のシェアの多くを占めた。1902年にはロンドンに進出し工場および映画館網を築いた。1909年までにパテ兄弟社はフランスおよびベルギーに200以上の映画館を建て、翌1910年にはマドリッド、モスクワ、ローマ、ニューヨーク、およびオーストラリアと日本にも営業網を広げていた。またニューヨーク州バッファローで配給中間業者(エクスチェンジ業、Film Exchange)を始めている。第一次世界大戦直前の時期には、パテ兄弟社はヨーロッパの映画用カメラおよび映写機の市場を支配しており、世界の映画の半分以上がパテ兄弟社の機材を使って撮影されていた。
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