ルーマニアの参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:02 UTC 版)
「東部戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「ルーマニアの参戦」の解説
詳細は「ルーマニア戦線」を参照 第一次世界大戦の勃発以来ルーマニアは中立を守っていたが、中央同盟国と協商国との戦いの間で漁夫の利を得ようと参戦の機会を虎視眈々と狙っていた。1916年連合国の夏季攻勢が始まってから、特にブルシーロフ攻勢の戦果はルーマニアを刺激し、これによってルーマニアは協商国側に立って参戦することに決めた。ロシアはこれに喜んだが、ルーマニアの戦備不足は思わぬ結果を残すこととなる。 詳細は「トランシルヴァニアの戦い」を参照 8月27日ルーマニア軍はトランシルヴァニアに進攻したが、オーストリア第1軍はシビウ付近の山系によって防御した。この間に独マッケンゼンの多国籍軍がブルガリア方面よりドブロジャに北進し、またドイツ第9軍がシビウに逐次兵力を集中して反撃を開始した。ドイツ第9軍はシビウ付近山中においてルーマニア第1軍を殲滅して、さらに同第2軍を蹂躙。マッケンゼン軍はこれに呼応してドナウ河を渡河し、12月6日独墺軍はついにルーマニア首都ブカレストを占領した。悪天候とロシア軍の救援によってシレト川の線でようやく膠着したが、ルーマニア軍は全軍の4分の3を失い、また国土の大半を失うこととなった。この作戦によってルーマニアの豊富な小麦と石油が同盟軍に奪い取られ、参戦に期待をもっていた連合国側は物質上の利点を失うだけでなく心理的にも大きな敗北を喫した。 詳細は「en:Christmas Battles」を参照
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