ルーマニアへの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 06:43 UTC 版)
ギリシャ独立戦争に連携してワラキア蜂起が行われたが、ギリシャ側と対立したこの蜂起は失敗に終わった。そして1848年、ワラキア公国とモルダヴィア公国で大規模な蜂起が発生し、知識人、学生、教師、一部の貴族などがモルダヴィアの首都ヤシで革命委員会を結成した。しかし市民革命化を恐れたロシアが軍を投入、オスマン帝国の援助を行ったため失敗に終わった。ワラキア、モルダヴィアの両公国が自治権を得るのはクリミア戦争後であり、両公国が合併してルーマニア公国となるのは1860年のことである。
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